意志が弱いのです。
自分は人の目をよく気にするタイプの人間です。人の目の当たるところでは自分の理想的な真面目な人物でいることができます。
しかし1人の時は必要なこと、やるべきことなどができず、怠惰で楽なことしかできません。
具体的にはやらねばならない課題や勉強をサボってスマホを一日中いじっているような感じですね。
そして必ず後悔や自責の念に駆られます。
さて、そこで私はどうすれば自分自身の行動を変えられるのか、自分自身をコントロールできるのかが知りたいのです。
分かりづらく拙い文章ですが、お力添えよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いい加減を目指す
かずさんは本来できる人です。
なぜなら、人前では理想的な自分になることが出来るからです。
出来なければ、人前だろうがどこであろうが、理想の自分を作り出すことなどできません。
私が思うに、一人の時に何も出来なくなってしまうのは、外で頑張りすぎているからではありませんか?
もうこれだけやってるんだから、いいだろうとどこかで思ってしまっている。
人間、自分の能力を超えるといつか爆発します。
まず、その事は頭の片隅にでも入れておいてください。
だからといって、家で一人になっても、こなさなければならない課題はありますよね。
一例ですが、課題を机に広げて、スマホをされてはいかがですか?
もしかすれば、少しでもできるかも知れませんし、やったつもりになるかも知れません。
私の場合は、紙に文字を書きます。
例えば仏教のお話をする原稿を書くときは、「仏教、仏、一遍上人」など、関連する言葉を書いているうちに、乗ってきます。
しかし上記に挙げたものは、所詮小手先の技。
出来ない時は何をしても出来ません。
自分で色々工夫してみるのもよいですが、かずさんはもう、いっぱいいっぱいなのではないでしょうか。
無理なものは無理。
「~しなければならない」と思えば思うほど、自身を追い詰めます。
私が思うに、かずさんはある意味バランスが取れているのでは、と思うのです。
オンとオフがハッキリと。
私も出来ない時はしません。
というか、君には無理だったんだよ、と自分に言葉を投げかけます。
まあ、そうすると「君」は出来る範囲でなんとかやってくれます。
かずさんの中の「君」は人前で叱咤激励され、必死になって頑張ってくれています。
理想的に変身して。
まだそれでも「君」をコントロールしますか?
スマホくらいやらせてあげてもいいのではないですか?
スマホに飽きれば課題をこなす。
それが飽きればスマホをこなす。
例えばウエイトトレーニングでは、負荷をちょうどよい加減にしてあげないと、体を壊します。
勉強も課題も同じです。
私はそれを「いい加減」と表現しています。
自分にちょうどよい加減という意味です。
自分の心の状態を、まず一番に考えて下さい。
終生あなたを見ています
拝読させて頂きました。
あなたをいつ如何なる時も神様も仏様もご先祖様も見守っていますよ。
ですから誰かに全く見られていない時はありません。
普段取り繕っているように思っているのはあなただけです。
仏様もご先祖様もあなたの一挙手一投足やあなたのお考えもお見通しですからね。
ですから皆さんから注目されて誰しもが生きています。
どうか素直なお気持ちで真摯にご精進なさってくださいね。
終生あなたは見守られているのですからね。