心が弱い
気にしてしまう事があっても気にせず行動出来る心の持ち方はありますか。
また後悔や嫌な事も頭から離れません。
どのような考え方で生きていけば楽に生きられるのでしょうか。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分に思いやりを向ける
ちょこ 様 相談ありがとうございます。
後悔する出来事・嫌な思い・どうしても気になること。
様々な悩みを人は抱え込みます。
生きていれば、ついてまわるものです。
でも、自分を癒やしたり、自分に思いやりを向けて、
安心や安全を感じることで、
その悩み苦しみを受け止め、軽減しようと
強い気持ちと勇気をもって行動できるのです。
大丈夫です。自分に思いやりを向けることは誰でもできます。
まずは思いやりを向けるところから始めてみましょう。
キーワードは、「セルフ・コンパッション」です。
仏教的な解釈だと、自分の慈悲心を育てていくことになります。
参考にしてください。一礼
その「楽」は、どういうものかしら?
こんにちは。何か物事を行うか否かについて、「こう失敗したらどうしよう」的な恐れが生じて、踏み出すことができない、というようなことでしょうか。
「行動できない」とのことですが、「極度に慎重」という意味なのでしょう。
①あなたはその生き方で生き抜いて来たのです。行動しなかった、ことでリスクを回避して来たというのは間違いありません。その意味では既に「楽に生きて来た」筈です。結果としての楽。今のやり方を変えるのは、リスクを覚悟する事とセットではあります。
②リスクはあっても行動パターンを変えたいならば、自分の迷いを止める小細工を考えましょう。「やる」と決めたらTodoリストに書く。やらないでいると、どんどん溜まる一方です。それらを見ながら、「コレならリスク低そう。行けそう」と思ったものからやってみる。その見極めは、もちろん慎重にやっていいのです。
やれるか分からないから書かない、というのはこの場合のダメ行動です。それじゃ今までと同じ。この書き出し行動は、自分をある意味追い込んでいく事ですから、多分辛いでしょうけれども、私が考える「比較的安全に行動を変えて行く」やり方と言えます。これが辛いなら、あなたにとっての「楽」とは「やらないこと」なのでしょう。
③何かとんでもない、無茶っぽい事をやってしまう。バンジージャンプとか。いっかいすんごい体験をしてしまうと、「あれよりはマシかも」という思考ができるようになります。バンジーが大丈夫だったのだから、こんなの大したことない。そんな風に「自分を経験済みにしてしまう」というのも、一つの考えではあります(我々の修行も、多分この要素はあります)。
ということで3つを挙げましたが、コレらの共通点は「考え方」ではないということ。あなたの今の恐れや慎重さは過去の体験に基づくものですから、「だいじょうぶ、と100回唱える」とか言葉の対応ではなく、身をもって行動していくことが、どの道肝要だと思いますよ。
妄想雑念からパッと離れる
心は無常であり、瞬間瞬間に新しい心に浮かんで消えて入れ替わっています。
しかし、過去や未来についての妄想雑念に思考が浸ってしまうと、嫌な気分(ストレス)が長引いてしまいますね。
ですから、過去や未来や自分(の価値)や他人に関する妄想雑念、同じ情報の中で感情をこねくり回す思考の堂々巡りから素早くパッと離れる(思考や感情を素早くリセットする)癖をつける必要があります。
例えば、欲・怒り・怠け・プライドに関する妄想雑念の激流に溺れている心を、
南無阿弥陀仏
と念仏を唱えることで瞬時に安全な道路上(極楽浄土に続く道)に戻すのです。
あるいは、ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー
という、般若心経に出てくる呪文を唱えることで、妄想雑念に浸っている心をリセットするのです。
また、同じ情報の中では思考が煮詰まってくるので、新しい情報を得るために一歩動いてみるのも良いと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
後悔しても悲観しすぎず、自分を思いやる心を大事にして生きていきたいです。