弱い人間
お世話になっております。
以前から相談させていただいているのですが、自分は就職活動や、その後に就いた職業などでつまずき、今はフリーターとして働いています。勉強は得意でしたので、少し良い大学を出ましたが、まともな職歴はありません。
年も20代後半となり、人生に絶望感を覚えています。
新卒で就職して立派に働いている同級生と、落ちぶれた自分を見比べ、この先の人生の険しさに怯える日々です。
自分が弱すぎて、挑戦することも怖くて出来ず、将来の不安も大きく膨らみ、この社会には私の居場所はないと感じております。
甘え過ぎだ、もっと頑張ってから言え、と言う意見もあるかと思います。しかし、私は頑張ることのできない、どうしようもない人間のようです。
恐らく私は元来怠け者なのでしょう。
それに加えてこれまでの失敗もあって、行動するエネルギーが湧いてこないのです。
そして最近は、死ねば全て解決する、という考えが段々と頭を支配するようになってきました。
勿論好き好んで死にたいわけではありません。
苦しみから逃れたいのです。
どうかこんな私にご意見をお聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「頑張る」or「死」の二択を見直す
こんにちは。
「甘え過ぎだ、もっと頑張ってから言え」
「私は頑張ることのできない、どうしようもない人間」
「死ねば全て解決する」
これらの言葉から、あなたは何か気づくことがないでしょうか。
あなたは、「頑張る」or「死」の二択になっているのではありませんか。
あなたは、今の自分を自分で持て余して落馬寸前になっているように感じます。
あなたは、制御できる範囲で自分を丁度良く乗りこなす必要があります。
そもそも「頑張」れなきゃダメではなく、今は「頑張」れないんだからそれでもいいかとまず肩の力を抜くことが先決です。あくまで自分の許容範囲での「頑張」れる程度を見極める。いつだって現実から始めるべきです。遠い未来のあるべき自分から始めるべきではありません。それは無謀というものです。ハードルを上げすぎたノルマ達成のために無謀に挑み、未達を繰り返して「死」にたくなる。
あなたはどこまで「頑張」れて、どこまでが「頑張」れないか。
そして、「頑張」る方向性は間違っていないか。
これを得心がいくまで月日をかけて、何度でも、何度でも自らに問うてください。これは簡単に解決できない思考の癖のようなものですから時間がかかります。根本的な一つを解決せずに、思考を次から次へと重ねるのは百害あって一利なしです。粘り強く同じことを胸に問うてください。
あなたをあるがまま受け入れてくれる存在が必要
絶望感は辛いですね。もっと泣いてもいいですよ。悔しい思いとか上手くいかなかった思いとか吐き出してください。
あなたは良い大学を出ておられる、勉強ができたのでしょう。でもそれは誰の為?
もしかしたら。幼少期より「親に認められたい」とかの思いや
親から、テスト良い点は褒めてもらえて、悪い点は叱られたとか
親から支持されて「〇〇すべきは良い子」、さらに躾が厳しかったとか
ないですか?それから虐めにあった体験とかないですか?
もし、親の目をきにして、認められたくて、とか虐めから劣等感を抗うためにとして来たとしたら、あなたは自分の主体性を認められる経験が少なく、自分で自分の人生を生きていないということなのかなと思います。
勉強ができている間はまだ自分を維持できたけど、おそらく就活では主体性が発揮できず、苦しい思いをしたのでしょう。社会に出ればあらゆる場面で自己判断を求められますが、あなたは対応できなかったのでしょう。
もしそうなら、それはあなたが悪いのではありません。あなたのせいではないのです。
あなたが弱い人間と思ってしまうのは、これまでの経験で他人の目を気にして、主体性のない心の癖を自然と持つようになったからだと思います。
しかしその状態を維持していては、辛い悔しい気落ちが続くばかりですね
あなたにとって、弱くても、あるがままにあなたを受け止めてくれる存在。あなたをそのまま認めてくれる人はいますか?
もしあなたをあるがままそのままが「それでいいよ」と受け止めてくれて、あなたの心が落ち着き、優しさや思いやりが育てられ、勇気が芽生えてきた時、主体性をもって、自ら社会に臨んでいける状態となるでしょう。
あなたをあるがまま受け入れてくれる存在とてい親友や家族そうでなければセラピスト、心理療法家、僧侶など頼ってください。そこであなたの気持ちを吐き出すことから始めてみてください。きっと復活していくと思います。必ず日はまた昇るのです。
私はそう思います。一礼
必ずあなたの道があるでしょう
拝読させて頂きました。
あなたが今とても苦しんでおられることを読ませて頂きました。あなたがその様に生きることに苦しんでおられることとても伝わって参ります。あなたのお気持ち心よりお察しします。
あなたがあなたのアタマの中で作っておられるイメージと現実には大きなギャップがあるのかと想像します。あくまでも私の想像ですけれど、あなたはそこそこの有名な一流企業に就職なさったり、国家公務員となられて見た目でも安定したキャリアを積んでいかれる人生をイメージなさっておられるのかもしれません。そこからするとあなたの今の人生や生活はあなたがおっしゃる様に落ちぶれていると見えるかもしれません。
しかし見方を変えてみると全く違って見えてくるでしょうし、あなたが悲観する程あなたの状況は決して悪くはないと私は思います。
先ずはあなた自身のそのイメージや幻想を手放してみましょう。
あなたはあなたなりに今まであなたの人生を歩んでいらしたのです。それは長い目で見れば決してムダなことでも価値のないことでもありません。
あなたは今までもそしてこれからもあなたの人生を生きることができるのです。
何が正しいのか何が善いのかはその時その時で変わっていくのですし、二転三転していくものですからね。
今先のことはわからないですけれど、私はあなたがきっとあなたらしく生きることのできる生き方や道や仕事にもめぐり合うのではないかと感じます。
普段何気なく見逃している中でも様々な出会いやきっかけを通してあなたには無限の可能性や方向性が今でも存在しますし、今は見えてきてないのかもしれませんけれど必ず様々な道が見えて開けてくるでしょう。
固定観念にとらわれることなく、場所や体裁にとらわれることなくあなたの興味や関心や好きなことを見つめていきあなたにできるアプローチをなさっていきましょう。あなたを心より応援させて頂きます。
質問者からのお礼
釋孝修 様
主体性について、父親に必要以上に気を使っていた覚えがあります。学生の頃は、軽い仲間はずれなどにもあってきました。そのようなところで、他人の目を気にしすぎ、今の主体性のない私になったのかもしれません。
私の母親は、小言は言いながらも私のことを尊重してくれます。しかし、母親に全てを話すことは難しいかもしれません。もう少し自分自身を開示できる場所を探してみたいと思います。ご回答ありがとうございました。
釋悠水 様
自分は同級生たちの頑張る様を見て、自分と比べて焦っていました。また、頑張れない人間は落ちていくしかないと思い込んでいました。
頑張らないことには現代の世の中を生きていくことは出来ないように感じられますが、その程度や方向を今一度自分に問うていきたいと思います。
ご回答ありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
私の苦しみをわかろうとしてくださり、ありがとうございます。
おっしゃる通り、私は安定したキャリアを積んでいくイメージを捨て切れていません。そのイメージの中で苦しんでいることに改めて気付かされました。
また、私の歩んできた道のりを無駄ではないとおっしゃっていただいたことに、勇気をもらうことができました。
ご回答ありがとうございました。