一生、母親になれないかもしれない。
26歳で結婚して27歳で不妊治療を開始して、現在、29歳になります。主人は34歳です。
私はもともと結婚願望はありませんでした。
主人と出会うまで子供も欲しいとは思ってませんでした。
主人と出会い、「この人と結婚して子供が欲しい」と思い、5年5ヶ月の交際を経て結婚しました。
当時の私は准看護師だったので、交際期間中は看護学校に進学して働きながら勉学・実習に励んできました。
当然、学生期間中はきちんと避妊もしました。将来、子供を産むことも考えてピルを5年間飲んでました。
看護学校を卒業して、国家試験も合格して看護師となってから、今の職場に入社しました。
入社して1年経った頃に結婚したのです。
子作りもしていますが、半年経ってもできず不妊治療を開始しました。排卵誘発剤とタイミング法の併用で現在も治療していますが、思いが実ることはありませんでした。
生理が来るたびに泣くほど落ち込んでは、主人にも当たりました。「34歳まで子供ができなかったら離婚してくれ」と主人に言いました。
主人は「子供はできても、できなくてもいい。ただ君がいてくれるだけでいいんだ」と言いますが、私は…妊娠してくれないこの身体が憎くて仕方ないのです。
子供ができないことで、女としての価値もない。母親になれない私は前世でとんでもない大罪を犯したのか?神様がいるなら、私に母親になるなと言いたいのか……と考えるようになりました。
私はこのまま母親になれないかもしれない……そう思うだけで自然と涙が流れるのです。
不甲斐ない自分が許せないのです。
養子縁組という方法で親子になれることは知っていますが、私はあくまで主人と私の遺伝子を受け継いだ子が欲しいのです。
生きているだけで、申し訳ない気持ちになります。ぼーっとしているだけでも涙が溢れてくるのです。
長文になりましたが、いろんな意味で限界です……助けて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お話し、お気持ちをお聞かせください。
こんにちは。
一生父親になれないものであり、一生妻を母親にしてあげられないものです。原因は私で、先天的なものです。
ミモザさんも先天的な原因でしょうか?まあ、それはそれとして、こうなってしまったのも誰のせいでもありません。父母もそのように生もうとしたわけでもありませんし、私自身も好きでそのように生まれようとしたわけでもありません。それはミモザさんもよくおわかりでしょう。だから誰も責められず、その刃は自分を向き…苦しむ。
そういう意味では責める矛先になってくれる神様や仏様がおられるとしたらある意味で有難いのかもしれませんが、実際には神仏が「こいつには試練を与えてやろう」とか「こいつは前世が悪かったから反省させよう」とかそんな風にいのちを創造しているわけではありません。仏教ではそういう創造主のような神仏の存在は否定されます。
言ってしまえば「たまたま」なのです。私がたまたまそうなったのではありません。たまたまそう生まれたのが私だったのです。
不妊には不妊の原因がありますが、それ以上そこに何か大いなる意味などはありません。不妊の原因があるから不妊。それだけなのです。
仏教でいうなら「縁」ということになるでしょう。私はそういうご縁で存在しているのです。その私だからこそ「できること・したいこと」がある。私は私のご縁をそのようにいただいています。こんなご縁などいらないと嘆いてもこのご縁をいただいた事実は変わりません。
私も「ぼーっとしているだけでも涙が溢れてくる」時期がありました。人類の誕生から…いや生命の誕生からどれほどの月日が経ったのかわかりませんがその遺伝子のリレーのアンカーが自分なのだと、そして妻をその同伴者にしてしまったのだと思うとなんとも言えない気持ちになります。
妻も「あくまで主人と私の遺伝子を受け継いだ子が欲しい」という立場でした。だからAIDという道には進みませんでしたが、私の希望もあり特別養子縁組や里親という道を歩みはじめました。
縁あって期間限定ですが里親として父母にさせていただきました。その体験は強烈な感動と感動だけではすまない現実とが織り交ざったもので現在は特別養子縁組の道は保留し、また里親の縁があればその時に考えるというスタンスです。
う~ん、字数が足りませんね。よければ私のお寺のFBページからでも連絡ください。お話ししましょう。
自身を憎む。悲しいけど自然な感情です。
苦しいし悔しい事です。
周囲は、普通に結婚し、普通に子供を産み、普通に家庭を持ち、普通であることが幸せに見えてしまいます。
いや、実際幸せでしょうし。
ミモザさんは、ごく普通の平均的な人生が与えられれば、他には何も望まないと思っておられると感じました。
普通普通普通・・・
求めて何が悪い。周囲と比較して何が悪い。
どうしようもないけど、普通が出来なければ、自分の価値なんて下がりますし、やり場のない怒りは自分に向かって当然の結果です。
人生は四苦八苦。
人は苦しみを背負い生きています。
その中で「生苦」という苦しみはとんでもないものです。
生まれる所を選べないばかりか、どのような体で生まれてくるかも分かりません。
そして、もっとこんな親の所にとか、こんな体でとか、もうどうにも変えようのない事で苦しみます。
人は生まれた時から、すでに選択の余地のない苦しみを背負うという目を覆いたくなる事実があるのです。
これは、特にミモザさんだけではなく、私も、子を授かった人も、皆平等に背負っています。
だから、お子様が授かれない事も、本来ミモザさんの責任ではないのです。
避けようのない「苦」から発生したものです。
あなたが、この苦しみから逃れるには、あなた自身が自分を許してあげる以外、方法はありません。
私が思うに、似た経験を持っている方と、お話しされるのは一つの手段です。
そのような機会があれば、話してみたいなという気持ちになれば、心の内を打ち明けられてもいいのではないか、と思います。
ご主人の想いを、受け入れがたい自分があるのは、許せない自分が存在しているから。
今は当然の反応かも知れませんが、共に生きていくと決めたパートナーです。
多少、計画が変わったとしても、共に生きる存在としては在り続けます。
ゆっくりとゆっくりと、ご主人にも意識を向けていただければなと、私はそう思いました。