ドタキャン。
ドタキャンされた時にみんながみんな悲しむわけじゃないんだなぁと思った出来事がありました。
『こまねこのクリスマス』というネコのキャラクターのコマ撮りの映画を観た時に気づいた事でした。
内容はおじいちゃんと一緒に住んでるこまねこのお話なのですが、お父さんとお母さんは遠くに住んでいるらしく、こまねこはクリスマスに両親が帰ってくるのを毎日カレンダーに印をつけながら楽しみに待っていたんだけど、ある日両親からプレゼントとお手紙がこまねこに届いて、『クリスマスに帰れないかも』的な内容でこまねこの元気が無くなっちゃって、心配したおじいちゃんやお友達が失敗をしながらも一生懸命元気付けようとする。
という映画で、こまねこの気持ちやおじいちゃんやお友達に感情移入して終始号泣でした。
ただ、一緒に観ていた主人に『何がそんなに泣けるの?分からない』って言われてしまいました。
『ドタキャンされたら辛くない?』って聞いたら『別にそこまで…』と言われてしまって、『なるほど』と思いました。
昔付き合った方で、あまり会えない状況の中でドタキャンをする人がいて、勉強が捗ってないからって理由らしいけど、一度だけじゃなく、さすがに短い期間に何回もあったので不満な態度を見せたらすごい逆ギレされて『ワガママだ!!』って酷いことをいっぱい言ってきた人がいて、別れた何年か後に『たまごのワガママ、今なら聞いてあげれる』『あの時はいつでも会えるって思って欲しかっただけなんだ…』とか言われてしまって。
内心、(ドタキャンしたことに不満を言ったらワガママなんだ…ドタキャンした事に罪悪感とかはないんだな。ドタキャン何回かされていつでも会えるなんて思えるわけないよね…)と疑問に思っていたけど、そもそもドタキャンされても平気な人がいる事を知って、とても腑に落ちました。
こまねこのクリスマス、私は大好きです。
そういえば、お坊さんってクリスマスの映画って見るのかなぁ…
お坊さんからの回答 1件
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仕方ないものは仕方ない
ドタキャンする側にもドタキャンせざるをえない事情があるはずだ、と考えると、怒りは弱まります。
お坊さんの場合だと、急に檀家さんが亡くなってお通夜・葬儀が入ったら、他に予定が入っていてもドタキャンの必要があります。
人間1人が死んでいる状況で、「デートの予定があるので」とはなかなか言えませんからね。
怒りの煩悩は悩み苦しみの原因になります。
ドタキャンされた悲しみも、怒りの煩悩の一種です。
お互いにに怒りの煩悩がなかったら、ドタキャンが発生しても穏やかな心のままで理解しあい、許しあえるはず。
いちいち怒ったり悲しんだりするのは、エネルギーと時間の無駄です。
しかし、そのような愚かで無駄な怒りに飲み込まれしまうのが、現実の私達の姿でもあります。
仏様にはそのような怒りはないのですが。
映画は、たまに見ます。(テレビかレンタルがほとんど)
クリスマスの映画は、最近は思い浮かぶ作品がないですが、あえて避けているわけではありません。
質問者からのお礼
願誉浄史 様
ありがとうございます。
さすがにお通夜やお葬式だったら私の事気にしないで行ってきて!ってなりますね。あと、体調の面とか仕事が入ったとかだったら…それで文句を言って『ワガママだ』って言われても納得出は来るんですけどね、私だって理由が理由ならする時もあるし…
ただ、『ごめん、行けなくなった』だけだと、最初は『いいよいいよ、大丈夫だよ』って返していたけど、毎回相手から誘って日にちも相手が決めてるはずなのにドタキャンを繰り返して、ちゃんと理由を述べてくれなくて、さすがに不満にもなるし、不安にもなる…。こっちは予定を毎回空けているのに。それをワガママって…と、やはり思ってしまいます。
怒りって煩悩なんですね、難しい…理不尽なことにはやはりモヤモヤしてしまいます。心穏やかにはなかなか…でもそれでエネルギーを使ってしまっているのもなんとなく分かります、仕方ないって思えるまで時間がかかってしまいます、難しいですね。
クリスマスの映画、好奇心で聞いてしまったけど…確かに言われてみればクリスマスの映画って有名なのホームアローンしか思い浮かばない…
でも、聞けて楽しかったです。ありがとうございました。