こんにちは。初めて質問させて頂きます。
私は現在大学生で、卒業論文の提出期限が迫っています。しかしその作成作業はほとんど手がついていません。
なぜかというと、私は2年前に人間関係のこじれから、うつと診断されるほど擦りきれてしまいました。そのために卒業論文を書くに書けず、大学は留年となり現在に至ります。卒論のためのゼミも本当にギリギリでしかできず、自信もなくしてしまいました。それでも今年こそは卒業したいと思っているのですが、どうしても体と頭が言うことをきいてくれません。正直、論文を読むのも考えを文章にするのも怖くて仕方がありません。
精神状態はよくなってきている実感はあります。前に比べたらだいぶ気分はよくなりました。なのに頑張れない自分が情けなくて悔しくて、生きている意味があるのかと疑うこともあります。
どうすれば過去の失敗を振り切って前に進み出すことができるでしょうか?どうすれば恐怖を克服できるでしょうか?どうすればもう少し胸を張って生きられるでしょうか?
欲望が多すぎるのかもしれません。何が一番大切なのか、書いていてよくわからなくなってきました。
何かアドバイスを頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「人生の主役は自分である」
誰が言った言葉かは忘れましたが・・・
自分中心でモノを考えろという意味ではなく、人と共存していく中で、なりたい自分になろう。
そのような考え方であると認識しております。
こるさんにとって、2年前の出来事が衝撃的だったのは事実です。
その記憶と共に、あなたは今、生きています。
消そうとしても消えません。
いきなりフッと現れ、あなたを苦しめているその記憶。
さよならしたいですね。
まずは現実を知って下さい。
その記憶は完全には抹消できません。
ただ、その記憶の意味づけを変える事は可能です。
しかし、あなたはその意味づけを変えたくないのではありませんか?
あれは失敗だった。
失敗したから、自信を失った。
自分は失敗人間なので、堂々と表を歩いてはいけない。
あれは「失敗ではない」と誰かがあなたに問いかけると、こう答えられるのではないでしょうか?
「あれが失敗でなければ、なんで今こんな自分があるんだ」
「自分だって努力した、何も知らないくせに」と。
失敗したから、今の自分が認められる。
そんな自分を証明するためには、さらに自信のない思考行動とらなければならない。
そして、なりたい自分とは逆の方向へ走りだし、何がしたいのか分からなくなる。
人間関係のこじれも自分が決めて行動した事であり、相手の意思はまた別のものです。
詳細は知りませんが、失敗なのでしょうか?
自分が今している事も、自分で決めた行いであり、他人が批判する権利はありません。
人を楽しますよりも、自分が一番楽しい事が本来の在り方なのです。
嫌な事も思い出すでしょう。
しかし、その記憶に関しては、もういいも悪いもありません。
時にはこけてもいいんです。
人生の主役を目指して下さい。