なりたいものになれませんでした
私は今年で25歳。ある時ふと鏡を見て年相応の見た目になっている事に驚きました。当然の事なのに、おかしいですね。
でも私は、私の中の私は20歳のままで止まっているんです。20歳の時の、遠い街で仕事に馴染めず、心を踏み潰され、なりたいものになれなかった自分のままなんです。
おそらく私はあの時、ある意味で死んでしまったのでしょう。あれから時間の感覚がなくなってしまいました。
半年くらい前から心療内科にも通いましたが、先日ついに自殺未遂をしました。精神科に入院して、日々を過ごしていますがまた自分は死のうとするんだろうなという事がうっすら分かります。
死んでしまった半身を抱えたまま生きる事は辛いことです。私にとって大切なものがなんだったのか、今はもう思い出せません。私は生きる目標を失ってしまいました。
私のこの悲しみは永遠に終わりません。だけど周りはそれが理解できません。いつかそれは終わるよと言うのです。私にはそれが信じられません。それとも本当にこの悲しみには果てがあるのでしょうか?私には分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからですからね
拝読させて頂きました。
あなたが目標としていたものになれなかった、その事は本当に辛いことでしょうし、悔しいことでしょう。あなたのお気持ちを心からお察し申し上げます。
それでもあなたの人生はこれからも続いていきます。
今迄の目標とはちがうものへと向かって行くことになるのです。
人生はそういうものです。挫折を味わい壁にぶつかってから方向転換してそれからが本当の人生の始まりです。そこからが本当の修養になって参ります。
あなたは毎日死にそして新たなものになっていっているのです。
ちょっと一呼吸して一休みしてからまた新たな道に向かっていきましょう。
因みに私は昔デザイナーになりたかったですけれども大きな壁にぶつかって挫折を繰り返しました。そして会社員としても断崖絶壁まで追い込まれるような思いをして辞めました。
そして今僧侶になりました。紆余曲折の人生ですがそれで良いと今は思っています。
あなたの未来は必ず開けていきます。どうか諦めずに自暴自棄にならずにこれからご精進なさってくださいね。
あなたの未来が開かれ、あなたがこれから夢を実現なさり心から充実した毎日を送り成長なさっていかれます様切に祈っています。そしてあなたを心から応援していますね!
質問者からのお礼
お返事が遅くなってすみません。ずっと考えていました。
修養、そうですね。人生は修養ですね。
修養していつか極楽浄土に生まれ変われるように精進して参りたいと思います。
ありがとうございました。