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好きな人がよく風俗通い

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有り難し有り難し 19

私は外国人の女性です。
一年前自分の国で日本人男性に出会いまして、何回一緒に出かけた後、彼はいい人なので、彼のことを好きになりました。

しかし、四ヶ月前彼は心の病気で帰国しました。
遠距離片思いは無理で決まっているが、彼のことずっと忘れずにまだ好きです。

彼に1つことがすごく気になっています。それは彼がよく風俗通いのことです。昔ここにいつも会社の上司や先輩と一緒に行ったらしいです。
たぶん上司が行きたいので、部下は拒絶できなくて一緒に行ってしまいました。私は結構悲しいと思っています、やはり国の文化や価値観が違うからですね。
でも本人が行きたいかどうか分かりません、知りたいですが聞きにくいです。

先週彼は友達とまた私の国に遊びに来まして、私すごく楽しかったです。
その友達は彼の後輩で、彼女がいるらしいです。
夜彼たちはここの上司と会いに行きました。どこへ行ったと彼に聞いてみて、それはちょっと言えないなと返事してもらいました。
たぶんまた風俗へ行ったはずです。私はすごく悲しくて、一人で部屋にずっと泣いていました。

彼はどこへ行っても彼の自由で、私干渉の資格が無いですが、本当に悲しいです。

その人をまだ好きになっても良いですか?彼が風俗へ行きたいかとはっきり聞くべきですか?

日本人には上司の命令に対して本当に拒絶できませんか?
彼の友達が彼女がいるのにそんな場所へ行って本当にショックです。
男はやはり好きではない女性と抱きしめられますよね?

すみません、質問が多いで。
変な日本語なので、理解にくいかもしれませんが、すみません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お付き合いしながら風俗に行く男性に愛は無いかと…

別れた方がイイでしょう。
遊ばれてると思いますよ。
国の文化が違うとかいうレベルではないと思います。
結婚した夫婦で旦那さんが奥さんとイチャつきながら「昨日フーゾクに行ってきてそこのお店で受けたサービスがこんなであんなで」とか言ったら平手打ちものです。OHクレイジー。
風俗好き男性は家庭的ではありません。
ギャンブル好き男性、タバコ・飲酒・オタ趣味男性しかり。
恋愛と家庭的な結婚とは別物です。
いずれ結婚を考えているならすぐに別れましょう。
その人が家庭を愛するより自分を愛しているということを、彼の行動から見抜かなければいけませーん。
そもそも「風俗に行かない人」という人間はなぜ風俗に行かないのでしょうか。
フツーに付き合ってたり、夫婦であれば風俗いうのはアウトです。
だって他の女性と性的な行為をイタす💑訳ですから。
こういうことをいうと風俗好きの男性を敵に回しますが、冷静によーくここをよく考えてください。
そもそも「風俗にいかない男性がいる」ということです。
いかない人は何故、フーゾクに行かないのでしょう。
え?「風俗でイかない男性がいる」じゃありません。
はい、すみません、ジャパニーズ下ネタJOKEです。
仮にその人が嘘の達人で「実はさ、その風俗で働いている女の子がボクの親戚でね。風俗に働くなんて両親も怒っているから、やめさせたいんだけど電話にも出てくれないから、お店をやめさせようと説得するために入店料まで払って説得しているんだ。もちろん親戚だから関係は持っていないよ。わかってくれるよね?」とか言っても「嘘八百」でしょう。
人間の信ずるべきは言葉より行動です。
「私と風俗とどっちが大事なのヨ!?」という問いが生じる時点でその関係に肉体関係こそはあれ愛はないと読み取るべきです。病気もらっていたらあなたにも感染しますし。まともな人間性や愛があればそんな危険な行為はするわけがありません。早くここに気づいてお国で素敵な家庭的な男性と出会えますように。他国のものがよく見えることがあっても「実質」がどうかをよく見極めるべきです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元様、

ご返事ありがとうございました!
今彼の事を忘れるように頑張っています。
やはり好きな人が風俗へ行くのは受けられません。
彼は真面目ではなく、誰にも好きになるつもりは無いので平気そうに行きます。
しかも遠距離なので、いつも不安したり悩んだり本当に辛いです。

今すぐ新しい出会いを求めることではなく、先ず自分のこと好きになりたいです。
恋愛以外の目標を探して楽しい事を体験したいです。

改めてありがとうございました。
変な日本語ですみません。

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