この数年、大事なイベント前に必ず怪我をします
一昨年くらいから、大事な仕事や、プライベートで楽しみにしているイベント前になると、必ず体調を壊したり怪我をします。
例を挙げると書き切れないので選んで書き出します。
かかったこともないような酷い風邪の症状が発症し、薬を飲んだら原因不明の顔の腫れ。その状態でずっと楽しみにしていたライブに行く羽目になったり。
音楽関係の仕事をしているのでイベントごとが多いのですが、体力勝負のイベントの前日に、今まで痛めたこともないのに首を酷く痛めたり。
そして、明日は一年かけて準備し入念に練習してきた仕事の大規模なイベント。
個人的にもとてもやりたかった曲を念願かなって演奏できることになり、本格的なホールでその曲を恵まれたバンドメンバーで演奏できるチャンスは、たぶんもう二度とありません。
で、昨日腰を思い切り痛めました。現在歩行も困難です。
これほど酷く腰を痛めたことなんか、人生で今まで一度たりともありません。
今までは「何でこんなときに限って…でもたまたまだ。この最悪な状態でもなんとか乗り切らないと」と思ってやってきました。
しかし今回はあれほど楽しみにしていたのに、おそらく出演不可能です。
あれだけ楽しみにして準備して練習もして…
今までマイナス思考な自分に対する悩みや葛藤もあったので、今回からは素人でもステージ映えできるミュージシャンになろう!垢抜けるよう頑張ろう!ウジウジ悩まず思い切り楽しもう!と、思い切って貯金を下ろし、たくさんの衣装や靴を買って…。
情けなくて「なんで」という思いで一日中布団の中で泣きじゃくりました。
どの場合もイベント前に何か特別なことをしていたことはありません。
張り切って筋トレしてたとかなら分かりますが、普段と同じ生活を送っていました。
こういう呪いのような、楽しみにしていたり絶対に休めない行事の前に必ず怪我をするというような、どこかからの邪魔のようなものは、実際にあることなのでしょうか?
その呪いを解くためには、どうすればよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
因果について考えてみましょう
拝
因果とは原因があって結果があらわれるということです
では原因は誰が作っているのでしょう?
質問者様の場合自身の思考で既に自らの未来の原因を作っていると考えられます
私は在家からの僧侶になり日々祈願と滅罪(人の幸せを願う事と亡くなったものの供養)を行なっています
特にオカルトな考えは持っておらず割とフィジカルに仏教の教えを捉えています
その実践の中でとかく実感している大事な仏教の教えが因果です
その辺も踏まえた上で聞いていただきたいのですが
端的に思考は言葉になり言葉は行動になり
そして行動はいずれ自分を形作っていくという事
今こうしてジレンマを相談されている
質問者様はこうして何度もご自分にジレンマを刷り込んでいらっしゃるように感じます
つまり呪いは自分でかけてらっしゃるというのが私の考えです
音楽をやっていて上がりたかったステージに上がれるチャンスがある
これも紛れもなく質問者様の思考から生まれた現実
これでも拭えぬ不安なら
親やご先祖に自分を生み出していただいたことを感謝し手を合わせ
自分の命の由縁と向き合ってみてください
感謝と奉仕のない成功はどんな成功も毒です
合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
自分の中でも、「何かに邪魔されている気がする。じゃあ何に?」と考えたときに、頭の片隅で「自分に?」と考えることがありました。
でもイベントに参加したいのは事実なので、なぜ自分で自分を邪魔するのか理屈は分からなくて、邪悪なものが憑いてるのではないかと思ってました。
感謝の心…私には足りていないと思います。
むしろ回りを憎んでいて、毎日何かにイライラして怒っているような生活なので、正反対だと思います。
そのストレスで過食して、当然体重は激増。結果腰を痛めたと考えると自業自得としか思えませんね。情けない…
とても難しいですが、なるべくこの生活で怒りを抑えられるように、なんとか感謝できるように精進します。
ありがとうございました。