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命日の出会い

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

こんばんは。
二度目の相談になります。
何度も質問して恐縮ではございますが、
どうぞ宜しくお願い致します。

数週間前に、友人に連れられ出会いの場に参加しました。私は乗り気ではなくその場を楽しませるピエロ役に徹していました。その時です。母親からおばあちゃんが亡くなったと連絡がきました。 信じられなくて…ツラくて…
でも、その場を白けさせてはいけないと思い
隠し通し、最後まで明るく振舞っていました。

大好きだったおばあちゃんとの色々な思い出や、笑顔など思い出して数日間は心がすごく痛くていっぱい泣きました。
そして、そのおばあちゃんの命日に知り合った男性にも後日ご飯に行き、おばあちゃんの話をしたら、そんな時に感情を抑えて頑張らなくて良かったのに…逆に辛かったでしょう? 気づかなくてごめんね。っと言ってくれて、その日から彼がマメに連絡してくれて、気にしてくれたりしてます。
そんな中、彼に告白をされて私も少し惹かれてる程度だったのですが、もしかしたら、おばあちゃんが引き寄せてくれたのかな?と、因果関係があるのかもしれないと考え、今回お坊さんに聞きたくて質問致しました。
おばあちゃんの孫の中で結婚してないのは私だけだし、心配してくれたのかなとか、色々考えたりします。
スピリチュアルな話になってくるのかもしれませんが、もし何か関係性があれば嬉しいですし。
【まだおばあちゃんと繋がっていたいと思ってるからすがってしまっているのかもしれませんが】

関係性が全くないのかもしれませんが、もしこの出会いに何らかのおばあちゃんとの関係があれば、教えて下さい。 馬鹿げてる質問で大変申し訳ございませんが、何卒宜しくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お陰様

ご相談拝読しました。おばあ様のご命終にお悔やみ申し上げます。
知らせを受けて気が動転する中、頑張ってその場を過ごされたのですね。これからゆっくりと供養を通しておばあ様からの大事な教えに出会っていきましょうね。

さて、今回の出会いについておばあ様は無関係ではないでしょう。しかしそれは亡くなったおばあ様があなたを心配して云々…というスピリチュアルな話ではありません。そういうのは人間が作る「物語」「とらえ方」であって「事実」ではありません。

あくまでもあなたの中のおばあ様への思いや、今回のおばあ様のご命終という大きな出来事やそれに関わる彼の対応が作用してあなたが彼に魅力を感じたということであって、おばあ様の引き寄せということではありません。
しかしそれを「おばあ様のお陰様」と受け取り、味わっていけることは亡き人への感謝でもあるでしょう。
けしておばあ様の霊云々ではなく、あなたからおばあ様への思いや、既に受け取っていたおばあ様からあなたへの思いや、その他様々な条件や環境が目に見えない力としてはたらくことを昔から人々は「お陰様」と表現してきました。

気をつけなければいけないのは「お陰様」ということは「事実」であっても、それをそれは受け取る側の「とらえ方」で人は私的に都合よく解釈してしまう恐れがある事です。
おばあ様の「引き寄せ」という「とらえ方」はいざ別れたり上手くいかなくなった時には今度はおばあ様のせいにしてしまいかねないかな…と少し心配してしまいました。

嬉しい事を自分の手柄だけでなく、周りの方や亡き人のお陰様と受け取っていけるのは心の豊かさでもあります。
人間の心はそうした豊かさを持ってる反面、気をつけないと亡き人を生きてる者の都合でご先祖様にしたり、祟る存在にしたりしてしまいます。

亡き人が私たちにその命の終わりをもって教えてくれるのは事実という仏法です。亡き人は仏様として、人はやがて死ぬという事、死んでもそれで終わりではなく残された者にずっと影響を与えていくという事、私たちはつい事実を離れて物語を求めてしまうという事、そうした様々な大事な教えを伝えてくださります。

この度の出会いに感謝しつつ、仏様としてのおばあ様から伝えられる仏法を是非受け取っていってください。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

お返事誠にありがとうございます。
「お陰様」と言う考え方に深く頷きました。
もし、彼との関係がうまくいかなくても、おばあちゃんの所為には決してしません。なぜなら、私はおばあちゃんを愛しているので、祟る事や恨む事は仏様に誓って一切無いです。
言い切れます。 おばあちゃんが49日間仏様になるまでちゃんと毎日想いを伝えています!
道に迷わないでね! と。閻魔様におばあちゃんを極楽に行かせて下さい!と。
心から愛おしいおばあちゃんの死に対して優しく気遣ってくれた男性を信じてみようかなと思いました。 おばあちゃんとの因果は無いかもしれないですが、おばあちゃんを愛している私を受け入れてくれたのですから、なにかの縁かなと思ったりもします。
お坊さん、本当にありがとうございます!
お返事頂けたこと、そして希望を与えてくださった事、誠に感謝しております。
本当に心から御礼申し上げます。

ありがとうございました。

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