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好きな人には好かれない

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有り難し有り難し 41

好きな人には好かれない。
好きじゃない人から好かれる。

どうしたら良いのか。
本心から好きじゃない人と一緒にいても、その人に合わせてるのが、少し面倒くさい、やりとりも白々しく思います。

好かれてるのは、嬉しい気持ちです。
だけど、最終的に相手の目的は性交渉なんだろうなと思うと、馬鹿馬鹿しいです。
だいたい本心偽ってまで、体を提供する意味もないです。

世間には人形みたいな可愛いグラビアアイドルが沢山いるんだし、女好きはそちらで、発散したらと思います。

過去好きになった人は、年齢的に当たり前ですが、結婚していました。
独身の人も、最終的には私を遠ざけました。
昔から片思いが成就することはありませんでした。
その経験から、追いかける恋愛は失敗する、もう絶対しないと心に誓いました。

モテない私は1人で生きるしかないのでしょうか。
孤独過ぎて過食に走りそうです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の思ったこと絶対主義を卒業すべし

ものごとをみるのに心はれやかなる人は何の損ないもありません。
ものごとをみるのに自分の思いのフィルター越しに観る人は「自分の思ったこと」が真実に感じられます。
ご自分で思い当たることがあると思います。
はい。
別に責めていません。
こう言われて「私のことを悪く言ってるかな」とか思ってしまったりするのが人間の「守り」姿勢です。それも一種のボンノーなのです。
物事をその通りに受け止めさせない働きだからです。
あなたの心が救われるためには「自分の考えたこと」「自分の思ったこと」から自由になれることです。
人間はみんなそうです。
誰もが自分が思ったことを最優先にしてしまう。
だからこそ、この世が暗くつまらないものに感じられたりするのではないでしょうか。
過去の質問もいくつか読ませていただきましたが、どれも根本から問題解決の方法が得られていないように感じます。
私があなただとすればこう考えます。
「今後もアタシはずーっとこういう暗いことやネガティブなことを言い続けて、そのネガティブな脳内陰鬱ガスで自分を苦しめていくのだろうか。だとしたら、なんてばかばかしいことをしているのか。だとしたら、このネガティブな発想や考えって「誰が」やっているのか。ああ、全部自分じゃないか。やめなきゃ。これを。」と思います。
そして、軌道修正をして「どうしてこんな性格なんだろう」という言っても仕方ないことを言うよりも「どうすればもっと幸せになれるか」を追求すると思います。それが最善策です。
「悩み」は向かう先を間違えると、こちらにも何十問も相談して来られる方がおられますが、質問のための質問ばかりされておられる方もおられます。
すぐれた仏弟子たちは進むべき方向性を見誤りませんでした。
どうなれば悟りや安らかな心が得られるのか。
そこをガツンと明確にするのです。
人生の四苦八苦。
そこから救われるためには思い切ってぐじゃぐじゃした自分を背負い投げして谷底に突き落して「昨日までのアタシ、しねー」とばかりに、今から気持を入れ替えて生まれ変わって、真実の仏法・究極のシラフさ・いい人間になるには・ガチで目が開く教え・マジでガチで仏になれる教えを求めることです。あります。そういうの。でなけりゃ、こんなことやってません。
❝活句❞に参じなければぬるま湯人生です。仏教にもぬるい教えもあればガツンとくる教えもあるのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

素晴らしいご縁が恵まれます様に

拝読させて頂きました。
どのような方に対しても、どのような形でも人に好意をもったり好きになることは私は善いと思います。せっかく限られた人生の中で会えた方そして好きになった方であるならばそのご縁は大切になさってみてはいかがでしょう。
人生には限りがありあえる方にも限りがあります。その中で好きな方に出会えたことを素直に喜び、共に生きていくことができることは素敵なことかと思います。
目の前の目先のことにとらわれずに長い目で見ておおらかに人とお付き合いなさってみて下さいね。

あなたがこれから素晴らしいご縁に恵まれてその方とのご縁を深めていかれ心から信頼し尊重なさりながら豊かな毎日を送って頂きます様心よりお祈り申し上げます。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

回答いただきありがとうございます。

もう少し、気長に自分と波長の合う人を探しても良い気もしてます。
(そんな人いるか分からないけど)

何度も煮え切らない質問ですみません。
信頼できる相談場所がココしかないので。

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