いい歳なのに欲求を捨てきれず、落ち着かない
24歳の女です。
必要以上に物事に思いを馳せて、勝手に辛くなってしまいます。
具体的にどんな事に囚われてしまうかは、下記に記します。
・高校生の頃に大きなレジャー施設に家族で行く望みを共に持っていたのに、今だに行けていない
(親は忙しいから諦めているのか、興味が無いのか忘れたかのように話題にもしない)
・親同士で「早く◯◯に遠出をしたいな〜」という話をしつつも、忙しさからか何年経っても行動を起こしていない、定年になってからの楽しみにでもしているのかなと思いつつも、自分達で行動したり開拓しない親を見て悲しくなってくる
・ストレスが高まると、その時の状況に全く関係ない、昔の嫌な事などを思い出し、怒りをぶり返す癖がある
・遠回しに結婚・出産を期待しているような話題を口にする親に、怒りと悲しみを抱いてしまう。
(生活に張り合いが無い、生きがい欲しさに、私に結婚や出産の話を期待している気がして、イライラしてしまう。
どちらも私が必要と感じたら望むもの、当然するものと他人に決めつけられるのがとても嫌。
それと同時に、癒しが無いのかと心配し、勝手に悲しくなってしまうところもある)
小さな頃から、自分の意見を述べる事が苦手、かつ恥ずかしく感じ、それを逆手に「いつも変わらず、冷静でいる自分かっこいい」と思い込んできました。また、他人の望みを叶えて、褒めてもらうことに熱心になっていました。
そして年々ストレスを抑えきれないくらいに、小さな事でも一喜一憂するようになってしまいました。
相手からしたらそこまで深く考えて無かったり、私を思っての優しい発言なのだろうと思うのですが、ハッキリ意見がわからないと勝手に妄想を膨らませてしまい、悩んでしまいます。
正直私はとても優しく、かつ甘やかして育ててもらいました。親からしたら将来性が無く、不安に感じるような分野の勉強をしたいが為に、高い学費を払ってもらい、今では夢のある仕事に就く事ができました。
本来なら恩返しをしていくべきなのに、まだ親や他人に望みを叶えて欲しい子供になってしまいます。
どうすれば悩みを断ち切ったり、考えを負の方に囚われないように、うまくやっていけるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからの人生経験が、あなたを育てます。
あなたは、正直だと思うわ。
だって、みんな あなたと同じように感じながら、生きているのだもの。
誰かに期待もするし、こうなれば、あぁなれば、いつも思う。
甘えと言えば 甘えかも知れないけれど、人間は執着しながらでないと生きれないのです。
そんなもん です。ただ、それによって、苦しくなるのは、困るわよね。
何でも完璧で強い人なんていないよ。
みんな、悩みながら、あ〜でもない、こ〜でもない、と誰かに愚痴ったり 甘えたり 助けてもらいながら、また誰かを反対に支えたりしながら、互いに生きています。
だから、そんなに深く考えていかなくても、その都度 悩み一緒に考えていけばいいのだよ。
考えを負の方に囚われないように、これは、これからたくさんの人生経験をしていくより他ないですよ。そうすることによって、考え方や捉え方も 違ってみえてきます。