豪雨被害にあわれた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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逆境と支え合いについて

「石圧して笋斜めに出で 岸に懸かって花倒に出ず」(虚堂智愚の語録『虚堂録』)

「人は、恵まれた環境にある時、必死に考えることはありません。ですが、逆境にある時、人はどうやって切り抜けるかを必死に考えるものです。」

今、ある本を読んでいて、ほとんど私の中では納得できるものでしたが、この一文は引っ掛かってしまいました。

例えば、
・生活保護受給者で、貰った分を全てギャンブルに使ってしまう人がいます。(見方によっては、この人たちが富を蓄えている人が払った税金を使うことで、景気を循環させる働きをしていると捉えることができ、全体的には役に立っていると考えられます。)
・教育。義務教育は、最低限、教えることが決まっています。でも、子どもが考えるきっかけを奪ってしまっているのではないでしょうか?

福祉・医療・教育は、人が改善する力や治癒する力を引き出すことが必要だと思いますが、現代の日本の教育は、受ける側が悩んでいないことも多々あります。教育によって、敢えて困難を与えているという考え方をすれば、一定の役割を果たしています。しかし、過剰なストレスを与え、非行やひきこもりなどを生じさせているのも事実だと思います。だとしたら、何らかのストレスマネジメントを教える必要もあるかと思います。

苦しみ抜いたあげく、犯罪行為に走ったり、自殺したり、精神疾患を抱えたりする人もいます。この人たちに対して、未然に手だてを講じることはできないものかと思います。
手だてを講じて助けることは、困難を抱えた人から、考えるきっかけを奪うことになるのでしょうか?一方で、困難を抱えて乗り越えられず、苦しんでいる人はただの甘えなのでしょうか?

考えをまとめられず、申し訳ありません。宜しくお願いします。

世の中・自然
有り難し 6
回答 1

質問投稿日: 2018年5月5日 15:54

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

材料は用意するが、料理は自分で作る

ご質問を拝読させて頂きました。
ご覧になられた本は拝読した事がありませんが、著者が虚堂禅師の言葉を引用して、自らの考えを記しているのですかね?
その著者が言っている事は、逆境に対して、足掻く人を前提にしており、足掻かない人がいるなんて思っていないのではないでしょうか。
原語は、逆境にいる人を激励する意味合いだと思います。

虚堂が生きた宋代の禅は、唐代の禅からの反省によって生まれたものなのですが、唐代の禅は、「この身がこのまま仏であり、それに自らが気付く事」を大事としました。
だから、師は弟子に「お前仏だぞ。」なんて事は決して言いません。
自分で気付かないと意味がないのです。
自助努力が必要なのです。

困難を抱えている人に手立てを講じて助かる事は必要です。決して甘えなんかではありません。けれども、上げ膳据え膳では仰るように考えるきっかけを奪う事になるでしょう。
要はさじ加減で、「材料は用意するけど、料理は自分で作ってもらう。」ことが大事ではないでしょうか。

2ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

〉柳原貫道 様
ご回答、ありがとうございました。
なるほど、匙加減が大切なのですね。何でも極端は良くないのですね。「中道」が大切ですね。

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