排外主義の跋扈に心が張り裂けそうです回答受付中
以前何度か相談をさせていただいた者です。
現在参議院選挙期間中ですが、一部の政党から吐かれる陰謀論的・排外主義的な言説やヘイトスピーチ、それらが大きな支持を集め始めている現状に胸を痛めています。
子供の頃から社会問題やニュースには敏感な方で、リアルな場やSNSで抵抗なく発言をしてきた方ではありますが、これまでそれに共感してくれた友人はあまりおらず、嘲笑されたり距離を置かれたりすることがほとんどでした。
それでも「言わずにはいられない」という収まりのつかなさが勝り、ここまであまり態度を変えることはありませんでしたが、今回ほど絶望的な状況に向き合わされ、気持ちが参ってしまったことはありません。
すでに自分の周囲や、好きな音楽アーティストまでもそういった一部政党の態度に共鳴してしまっているのを目の当たりにし、「選挙に行こう」という投稿ですら、「実はこの人もそういう政党に共感しているのでは」と思ってしまい、恐怖感を感じてしまいます。
かねてからこの国に未来はない、あと数十年で滅亡するだろうと思っていますが、それでも声を上げるのは、この国が本当に滅びるようなタイミングで「もっと声をあげればよかった」と後悔したくないからです。
それでも、そんな微かな原動力すら折れてしまいそうな時勢に、生きる気力すら落ち始めています。
この気持ちを吐き出せる/共感してもらえる友人もおらず、一人でどうすればいいかわからずただただ重い体を引きずっています。
全てを失う覚悟で発言を続けた方がいいのか、それとも自分を守るために一生隅で縮こまっていた方がいいのか、あるいは第三の道があるのか、ご意見をいただけると嬉しいです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご相談、心からありがとうございます。
世の中が理不尽な方向に傾いていくとき、それを「おかしい」と感じ、声を上げることはとても尊いことです。ですがその声が、周囲に理解されなかったり、逆に嘲笑や孤立を生むことがあるのもまた現実です。
絶望感の裏にあるのは、たぶん「それでも良くなってほしい」という願いです。もう何も期待していない国には、誰も怒りも感じません。だからこそ、あなたの中に「ちゃんと生きられる社会であってほしい」という強い願いがあるのです。
そして仏教でも「怒り」は単に否定すべき感情ではありません。怒りは、「本来あるべき姿とのギャップを感じる心」、つまり、理不尽に対する心の叫びです。あなたが抱えている怒りも、誠実に生きようとする心が生み出しているものなのです。
あなたの痛みや絶望は本物ですが、だからといって「あなたがこの国を一人で救おうとする」必要はありません。声をあげることも、守るべき命も、「全部一人で担う」必要なんて、どこにもないのです。
仏教には「自利利他円満(じりりたえんまん)」という言葉があります。自分を大切にすることと、他者に尽くすことは本来矛盾しないという教えです。つまり、「誰かのために」と声を上げるあなたが、まず自分の命を守ることは、決して自己中心ではないのです。
時には声をあげないことも選択肢のひとつです。目立たず、批判も受けず、傷つかないように暮らすことは、逃げではありません。あなたの中には、いろんな可能性があると思います。
たとえば…
共感しあえる小さな場を持つ。SNSの中でも、あなたと似た感覚の人は必ずいます。無理にフォロワーを増やさなくても、1人でも共感し合える人を見つけることが力になります。
創作や表現で気持ちを吐き出す。ストレートな政治発言ではなくても、絵・音楽・文章・短歌など、別の角度から社会の苦しみを表現することも「声」になります。
行動よりもまず“心の回復”を優先すること。今、心と体がすでにすり減っているなら、まずは自分のエネルギーを取り戻すことが優先です。「声を上げなければ」と自分を責めないでください。
世の中のほとんどは、鈍感さに支えられています。何も感じず、考えず、流される方が楽なのが現実です。でもあなたは、その中で「おかしいことにおかしいと言える感覚」を持っている。それは美しく、誇らしい感性です。
今こそ周りに揺らされることなく確かな自分軸を立て直しましょう
情報は役立つものでもありますが、同時に人を操り攻撃するものにも変わってしまいますね。これだけ情報社会になりますと、多くの知識を得ますが、不確かなものに操られてしまう恐れも。いかに、確かな情報を得るのが困難かとも言えますね。
またネットに溢れる情報も、AIが判断し求める情報だけを与えてくる。それによって偏った内容が全てであるように映ってしまう。人は知らず知らずのうちに、その道しかないように錯覚してしまう危うさも秘めていますね。
どんな情報を得るかで、人の考えも生き方も変わってしまう。選挙をどのように見るのかで、社会が決まっていくようで、人が作り上げる世界というものはいかに危ういかも感じています。
今こそ、確かなものをしっかり立てて、人生を歩んでいきたいものですね。僧侶は信仰というものに、確かな拠り所をもち仏道を歩いています。それもまた僧侶としての生き方なのです。
あなたも、今こそ、周りに揺らされることなく、自分軸を立て直しましょう。
政治は損得(利害)の調整役
誰にでも欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩があり、一人ひとりの利害やこだわりに違いがあります。
排外的な主張をする人々には、それによって満たされる欲・怒り・怠け・プライドや利益があるのでしょう。
政治には、利害関係の対立を調整する役割があり、色んな立場の国民がいる以上、色んな立場の政治家も出てくるのが自然です。
ということで、皆が好きなことを主張できることは素晴らしいことだと思います。
基本的には弱肉強食、弱い者は仲間を集めて強者と闘うしかないのです。
仲間を集めるためには声を上げる必要もあります。
単純な数の力だけでは、人口減少しているこの国はやがて他国に侵略されるかもしれません。
それを拒むためには同士を集める必要があるのかもしれませんね。
質問者からのお礼
ご回答くださった皆様
鬱々とした相談に真摯なご回答をくださり、心より御礼申し上げます。
現状を冷静に見つめつつ、自分の思いと心身の健康をまず重視し、しんどい時期を乗り越えていきたいと思います。
社会に明るい未来が見えずとも、一人でも多く思いを共有でき、励ましあえる仲間を探してみたいと思います。