この世界に救いなど無い
この世界はもう終わりです。私達は殺されます。核戦争でこの地球は死の星になります。人間の肥大化した欲望から来る不足感が被害者意識を生み、その結果が今の軍事大国による侵略時代です。道徳は非人道的世界に飲み込まれます。私達に未来などありません。
到底受け入れられない、受け入れてはいけないものですが、解決方法もないので私達には死しか残っていません。それも惨たらしい死です。全国の仏教ネットワークを駆使して全国規模で人類への生前葬を行いましょう。
まだ間に合うかもしれない、ちゃんと天寿を全うできるかもしれないと感情では思いたいのですが、もうそんな可能性は日に日に小さくなっていくばかりです。世界は毎日毎日「最悪」を更新するばかりです。
例え運良く戦争にならなかったとしても、どちらにせよ人間社会の未来が暗いことは確定しています。
まだ気づいていないなら一緒に絶望してください。もうこの世界に未来など無いという真実にお目覚めください。私よりも賢くて徳のある貴方がたなら簡単なことだと思います。戦争は止められないこと、私達に未来は無いということ、死んでも結局はまたこの世界に生まれて苦しむだけの生が永遠に繰り返されるだけだということ、どこにも安息の地など無く、神仏の救いなどこの世界には存在しないということ。私でもわかることなのですから、貴方がたももうお分かりかと思います。私達には絶望するしか無いのです。人を救ったって仕方ないのです。どうせもうじき戦争で殺されるのだから。
絶望と怒りで心が埋め尽くされています。私が生きられないのは、私が苦しむのは完全にこの世界のせいです。生きても死んでも地獄から逃れられない。「存在」の強制力からは誰も逃れられないのです。もしも死んだ後の行き先が選べるのなら、日本は少子高齢化になっていないし家畜も戦地で死ぬ赤子も生まれていません。でもそうではないということは、死んだ後の安息など無く、死んでもまたこの世界の何かに生まれてしまうというのがこの世界の真実です。次は家畜かもしれません。どうして世界のほとんどの人間はこの真実に気づいていないのでしょう。
無惨に殺されるのはごめん被りたいのに、世界のあらゆる情報が「私たちは無惨に殺されるしかなく、しかも死んだ後もそれらが無限に繰り返される」という事実を指し示します。心が壊れて狂っています。
国際情勢、少子高齢化、そして死んだ後もまたこの世界に生まれさせられるという事実すべてが絶望的。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは、あなたの考えで生きていくしかないのです。
あなたの質問は、お坊さんからの回答があっても、否定的に受け取られています。きっと、あなたの中に答えがあるからです。これが「事実」ですという答え。
だから、お坊さんからどんな回答があっても、「私はこのように考えるけれど、お坊さんはこう考えるのか」と、他の意見を聞くことが、あなたには難しいのだろうと思います。
お坊さんは、仏教的な視点からの捉え方をお伝えするだけしかできません。
あなたは、あなたの考えで生きていくしかないのです。
今までの回答を振り返りながら、あなたの生き方の参考にしてくださいね。
質問者からのお礼
私が正しかったことは、いずれ最悪の形で証明されます。
どこにも感情の逃げ場がなくなって精神が磨耗し、いくら救いを求めてもそこに現実との隔絶がありすぎて苦しいのです。何を言われても否定的な言葉になるのは、世界各地で軍事衝突がエスカレートし、日本もいつ巻き込まれるかわからないという前提が十分に共有されていないと感じるからです。例えばこれが「私が生きづらい」程度のものであれば、私が変われば世界が変わるという確信が得られれば需要的になれるのです。しかし、現実としては私がいくら変わろうと人間は戦争をやめられないという事実ばかりが毎日更新されるのみです。
どうやら「救い」というものは私が感知できない世界にあるらしいです。そして私が語る「絶望」も感知されることはないらしいです。少子化問題、国際情勢、そして「存在」の強制力。これらを脇に置いて自分の心を守ってよいのだという安心感を持たずにいます。世界のありとあらゆる場所で残酷なことが起こっていて、たまたまその目に遭っていない私はのうのうと生きていて、自分の身にその残酷さが降りかかることを恐れてばかりいる。厄介なことに、死んだ後の世界を信じることができず、「いつかは必ず残酷な目に遭わされる」という結論ばかりが、どうしても、変えられずにいます。
祈りには物理的根拠がなく、残酷さには物理的根拠があります。これを「それはあなたの考え方」と言うのであれば、なるほど私は口を慎むしかなさそうです。殺される恐怖に追い立てられながら。