仏教的に消えない思いはあるのか回答受付中
私には大好きな声優さんのアイドルグループがいます。声優さんがアニメの歌を歌うライブがあり、何度か行っていました。行くたびに大好きなアニメの曲を聴くことができてアニメの感動も呼び起こされて感動していました。
そしてついにこの前、そのアイドルグループの最後のライブがありました。そこで声優さんが「ライブは最後だけど、思いは残って永遠になる」と言っていました。その時は確かに楽しかった思い出は残り続けるし、全てが終わるわけじゃないな、むしろ終わりこそ始まりかもなと思いました。
しかし、仏教の考えでは人の想いは残り続けると言う考え方はあり得るのでしょうか。諸行無常ですので、このアイドルグループに対する思いもいつかは無になってしまうのでは、と不安になります。 人の思いなどはずっと残ると言うことはあるのでしょうか。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたにとっての半永久で充分
諸行無常を説く仏教で「永遠」はあまり言わないと思います。
特別な神通力を得た聖者は、はるか過去世(無数の前世)の記憶を思い出せるという考え方があるので、例えばあなたが来世でもその想いを思い出せる可能性はありますね。
また、お経(経とは縦の糸の意味)に教えを記録して次世代に伝承することは、お釈迦様の想いを永くこの世に留めて伝える効果があります。
ただ、アイドルグループに関する思いについては、仮に何百年何千年も語り継いだり来世まで記憶を相続したりするのが困難であっても、まぁ良いのかもしれません。
最悪、あなたを含むファンの皆さんが生きている間だけその想いが忘れられなければ、あなたやファンの皆さんにとっては充分なのかもしれません。
その程度の期間(永遠ではないが、自分達にとっての半永久的)であれば、実現可能な気がします。
私が好きなアーティストも活動休止していますが、動画サイトでは彼らの楽曲が今も再生されたりカバーされていますし、メンバー個々人は今も活躍されています。
思いは消えても影響力や作用が残ります
お釈迦様はとうの昔に亡くなっておられます。ですが、インド、中国、朝鮮半島、日本、世界の各地の仏教界に、生き続けておられます。
ですが、インドや中国は仏教国かと言えば現実は異なります。
信者、支持者、フォロワーがいるからこそ、その精神性が広まっていきました。
日本では各宗派を始めここの「hasunoha」のサイト、僧侶たち、全世界に仏教的思想や仏教的な生き方が広められて今も生き続けておられるでしょう。
「人」は仮に亡くなられても、あるいは別れてしまっても作用が残る。
作用体が残るのです。人の上にその「作用」「影響力」があり続ける以上、人は消えないということですよ。
霊魂とか、魂というのはそういうものを霊魂や魂という言葉で言っているだけのことです。
生きている人であればなおさらのことでしょう。
あなたの好きな人が離れていてもどこにいてもいつでもあなたの中に作用体として現われている。記憶として、あるいは心理的な作用体としてずっと続いていくわけです。
最後のLIVEが終わっても、あなたとそのアイドルとの良き関りは今後も続けていくべきでしょう。いつか誰かと結婚してしまっても、その人のすばらしさや尊厳を尊重して、力や勇気や元気を頂いたことは、今後も続いていくはずですから、あなたが生かし続けるということが大事なのです。
亡くなられた方に対してもそれは同じです。
私も尊敬する僧侶やアーティスト、作品、語録、精神性が多数存在しますが、今日、今新たにそれらに接しても改めて凄いと思うものばかりです。
諸行無常であるからこそ、関係性も変わって言っているのです。
ですから、諸行無常なので今日は今日で真新しいその方との関係性が今まさに生じているはずです。
これからも大事に敬って差し上げてください。