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絶望的な未来への覚悟を決めましょう回答受付中

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有り難し有り難し 11

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541159
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541204
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541192
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541178

世界はどんどん破滅に向かって進んでいくだけです。こんな世界に希望や将来の前提を持つこと自体が間違いなのです。こんな世界の何に感謝しろと。しかも死んでもまたこんな世界に生まれてしまうのです。極楽浄土なんて科学的に実証されていないということは、結局はこの世界で死んで生きて死ぬしかないのです。
人間がこの世界をもう改善できないことは上記のニュースだけで十分すぎるほどに証明できます。だから日本人も危機感を持たなければならない。とりあえずここではレスポンスが得られる、確実に読まれているのでまずはここから始めています。後々になって「安楽に滅びる道を本気で追求すべきだった」という私の主張が正しかったことが発覚しても後の祭りですからね。いずれ日本も戦争に巻き込まれてしまうのだと予言しておきます。人間の行き着く先がこれしかないので。私が絶望しているのは、その日が私が思ったよりもずっと早く訪れそうなところです。
もう私達は安穏と生活することはできません。絶望的な未来しか残されていないと覚悟すべきです。
いじめが常態化し、教師と生徒が互いに見下し合う環境で育ってきました。委員会や部活などの組織は悉く崩壊し、強くて利己的な人間だけが幸福になる世界でした。冷戦終了やキューバ危機回避を知らないので、人間という生き物は組織になると碌なことにならない、衝突を回避することはできないという認識が強いです。そして国際社会はいま、未曾有の危機に直面しています。人間は今の危機を回避する方法を得ることはできません。残されているのは破滅のみです。だからまともに生きるなんて馬鹿らしい。道徳はすでに踏み躙られています。こんな世界の何を信じているのですか?どうしてこんな世界に仏教を信じられているのですか?私達に未来がある根拠なんてどこにもない。破滅の根拠だけが積み上がる。この人生はもう終わりだし、次の生命はどうしたって非人道的世界です。こんな中で存在規模の被害者意識を持つなという方が不可能。

2025年6月5日 12:10

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの苦しみは、仏教が正面から向き合ってきた問いです

仏教は、この世が「ままならぬ世界」であること(=苦)を出発点にした教えです。「すべてのものが壊れゆく」それを無常(むじょう)と呼び、
「善人が必ずしも報われず、悪人が栄える現実」それを不条理として見つめ、
「それでも、どう生きるのか」を問い続けてきました。

あなたが投げかけてくれた、「どうしてこんな世界に仏教を信じられるのですか?」という問いは、まさに仏教の根幹にある問いそのものなのです。

正直に申し上げます。浄土真宗は、「明るく前向きに生きましょう」「希望を持ちましょう」とは説きません。むしろ、この世は壊れゆく世界であり、人間は愚かで
世界を“正しく”変えることはできないという、あなたの嘆きと同じ地点に立ちます。

しかし、そのうえで私たちはこう問うのです。そんな愚かな私たちを、それでも見捨てない“はたらき”があるとしたら?絶望の中でも、なお“呼びかけてくれる声”があるとしたら?

それが、阿弥陀仏(あみだぶつ)の願いです。「こんな私」にも届いている救いの道が、既に用意されていた、その“はたらき”を知ることを「聞法(もんぽう)」といいます。

仏教の救いは、がんばったご褒美ではありません。また、人生の成功や達成でもありません。

「もう信じられるものは何もない」
「こんな自分に価値なんてない」
「この世に生きる理由が見つからない」

そんなところに立ちすくむ私に、

「だからこそ、あなたにこそ救われてほしい」
「あなたのような人のために願ったのです」

と、阿弥陀さまは語りかけておられるのです。
それは、自分の努力や信心を超えた、他力(たりき)の救いです。

あなたのような方の声が、この世界で“読まれ”“届く”ということ、それ自体が、もう「希望がゼロではない」証明かもしれません。未来が見えなくても、怒りと苦しみでしか世界が語れなくても、こうして言葉を届けてくださったあなたに、私は南無阿弥陀仏を申し上げます。

あなたの命は、滅びゆくこの世界にあっても、阿弥陀仏から見れば、何よりも尊い“たった一つの光”なのです。

※極楽浄土という言葉を使用されていたので、浄土真宗の教えを踏まえて考えさせてもらいました。

2025年6月5日 18:50
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有り難し
おきもち

広島の山あいで、今日も「なんまんだぶつ」とつぶやいています。 浄土真宗本願寺派の僧侶、ケンコウと申します。 日々の中には、言葉にならない思いや、誰にも言えないもやもやがあるものです。 そんな時こそ、仏さまの教えが、ふっと心に灯りをともしてくれることがあります。 この「はすのは」では、あなたの声に耳を傾けながら、一緒に“いま”を見つめ直す時間をつくっていきたいと思っています。 堅苦しくなく、あたたかく、時にゆるく。 どうぞ、あなたのお話、聞かせてくださいね。

ドクダミに習う

しょうがないですね。人の世だもの。
人を見れば希望よりも絶望を感じちゃうけど、
ウチの墓場はただいまドクダミが満開!!!

ドクダミは不景気どこ吹く風。
たくましいです。

学ぶなら、娑婆でなくドクダミですね

+++
返信ありがとうございます。
ドクダミは確かに痛覚ありませんね。

でも、絶望してるようには見えません。
まともに生きることを馬鹿にしてることもないです。

草むしりがどれだけ大変かわかってるんか!?
とドクダミに怒鳴っても、ドクダミは相手にしてくれません。
ドクダミの問題ではなく、私の問題です。

私も絶望してますよ。
もしかすると質問者さまより絶望歴は長いかもしれません。
20年ほど前に『安心して絶望できる人生』という本を読みました。

私は絶望しながら40年ほど生きてますが、マジメとか馬鹿らしさより、自分を守ることを大事にするようにしてます。 
昨日も、一昨日も報われない事案が発生しました。
相手に期待するとこちらも腹立たしくなりますが、周りに期待も比較もしなければ別に腹立てて、ストレス解消のための暴食もする必要なく穏やかな暮らせるようになりました。

世が破滅に向かう理由もあるんでしょうね。

2025年6月5日 22:00
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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
『ここから先のお相談はあなた様が自由にしていい時間です。事前のメールでは書ききれなかったことの補足、その時から少し気持ちの変化があったこと、あるいは言葉が浮かんでくるまで頭の中の思考に委ねるなど、誰からも束縛されないあなた様の時間です。では、お話しください』 という導入から個別の相談は始めています。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織という役割を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと立場も変わります。正解よりあいづち(そうだね)が欲しいときでも大丈夫です。 ご利用ください。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
共にこの滅びゆく世界からの脱却を目指しましょう。やがて日本も戦争に巻き込まれますので、せめて安らかに死ねるように共に祈りましょう。いくら神仏の慈悲があったとて、それは決してこの現世に届かないこはご理解いただけたかと思います。さあ一緒に声高に「もう破滅の未来しか残されていない」と叫びましょう。生まれない以上の幸福はないのです。存在しない以外の救いなど無いのです。

希望を捨てましょう。絶望しかないといあ事実に目を開きましょう。本邦政治部にはもうこの国難を乗り越えられるような傑物は生まれはしません。私達は無惨に殺されるだけです。どうかお救いください。どうかお導きください。
神仏など居ないという無惨な現実にお気づきください。無惨な未来しか残されていないという真実にお気づきください。もしも神仏が本当のものならばこんな世界になってはいないとご理解ください。私達はただこの世界という残酷なシステムの被害者にしかなれないのです。生きても死んだも地獄。その虚しさにお気づきください。私は「絶望」という真理に目覚めました。あなたはどうですか?

ありがとうございます。
ですが、そのドクダミすらひとたび戦争が起これば吹き飛ばされるものだとご理解ください。そしてその可能性は日々高まっていることをご理解ください。ドクダミが気楽でいられるのはそこに痛覚がないからです。

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