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先祖からの人間関係1

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有り難し有り難し 3

私が生まれた2ヶ月後に父が亡くなり、母はいつからか私を悪魔の申し子と言うようになりました。母方の祖母が言うには兄が3歳の頃、仏壇の日めくりカレンダーを13~14日に掛けて破いたところその日に掛けて父親が亡くなったと言っていました。
私達が小さい頃父親が亡くなってしまい生活に困った母は母方の実家に身を寄せたのですが、私達は兄姉妹3人兄弟で私は末っ子なんですが、祖父に性的虐待を受けていました。これはここで初めて明かす事なのですが、祖父は私の陰部に指を入れてきました、夜中寝ている時も目が覚めると私の陰部を触っていました。姉は軽度の障害を持っているのですが姉の陰部は萎びた陰部だとも言っていました。そのせいもあり姉は祖父にはあまり近寄りたがりませんでしが私は怖い祖父母ということもありご機嫌とりのように日々暮らしました。
母親は普段は仕事をしていたのですが、私が7歳の頃再婚することになったらしくまた、新しい命の誕生が近いということもあったようで当初は祖父母に私達を預けたまま再婚相手と新しい暮らしをしたかったらしいですが、私は祖母に「一緒に行くというんだ」と言われ、母親と一緒に暮らす事になりましたが、その後の母の態度は急変してしまいとてもあの頃の優しい母ではなくなりまるで他人のような継母のような母親になっていました。
暫くして私がアルバイト等で収入を得るとたかりのように何かの名目を付けては搾取するようになり、高校の身分で学校での昼食代や病院代・食費までアルバイト代から払いました。中学校では学校で必要なものも買っては貰えずとても惨めでした。それは姉も同じでしたが、姉は大人しい性格なので我慢してしまっていました。そんな姉に母は以前から嫌っていた義祖母ではなく姉(または私)に冷やご飯を食べさせると言いました。小さい頃から虐待気味ではありましたが学校で必要なものを買ってくれというと強制ではないものを買ってほしいと言うと虐待(暴力)が以前にも増していました。義父は障害を持っている姉がいるということもあるし籍に入れて得もない私達を籍に入れてくれずその事でも学校でかなり惨めな思いをしました。それは就職してからも同じでした。そんな母親から逃げたい思いもありましたがそれでもなぜか会社では見栄を張りたかったんだと思います、実家の近いところへアパートを借りて住み始めましたが今では後悔しています。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

見栄を張りたかったというのはどういう事なのでしょうか?
実家から離れて暮らす方が、自立した大人という感じがして好印象だと思うのですが?

追記
そういう意味なのですね。
長い間虐待されてきたのですから、その記憶はなかなか無くならないと思います。しかし、あなたの為には、過去のことよりも、未来のことを考えてこれから生きて欲しいと思います。
もし可能なら実家から離れた場所に転居して、食事も自分で用意して生活した方がいいかもしれませんね。でないと、やっぱり毎日親を思い出して苦しい思いをしますから。
あなたは実の父と母の愛の結晶です。
たとえ現在は母と不仲でも。
ですから、自分の存在に自信をもってくださいね。
見栄の代わりに自信を持って、あなたの人生を堂々と歩んでくださいね。

追記
おっしゃる通りですね。この世界は思い通りにならない世界です。納得のいかない事もたくさんあります。先日も虐待で亡くなった子供のニュースをテレビで見ました。なんとかならなかったのか、怒り、とても悲しく思いました。
この世は縁起で成り立っています。私には分かりませんが、おそらく、そうなってしまう原因がいくつもあっての結果なのでしょう。
昔は「子供は国の宝」と言われていました。それが今は薄れてきているのかなと思います。
血が繋がっていてもいなくても、大人は子供を愛情を持ってちゃんと育てないといけない、という事を、子供の時から家庭や学校で教えないといけないと思います。
このような思い通りにならない世界で、私たちに出来ることは、未来で良い結果になるだろうと思われる行いを、1つでも2つでも、やっていくしかないのだろうと思います。
その報いが、生きている間に貰えるか、来世で貰えるかは分かりませんが、いつかは貰えると信じて。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

会社で定期的に配布される続柄関係書類はほぼ会社の方には丸見え状態だったので、私の実家との関係がどのようなものなのかは既に知られていたと思うのですが、実家を出たことは会社には伝えていましたが住所録に実家から近い場所のアパートに入居(母が姉が住む為に探した入居先でしたが)したことで母親に愛されていると思われたかったのだと思います。

具体的には
実家の近くへ住んでいて母親は何してくれるか?食事を運んでくれる。しかしそこには金銭が動かないと食事を運んでは来ないことは伏せていた。もう私の記憶にある母親6歳・7歳の、学校でランドセルに付けているマスコットがカワイイと褒められてそのマスコットを作って来てあげると安請け合いしてしまった時一緒にそのマスコット作ってくれた、学校のクリスマス会に持っていくプレゼントが無くて適当によくわからない物を作って持っていって笑われた時、次はこれを持っていきなさいと母がモヘアで編んだ羊を紙袋に入れてくれた母ではなかった。

何が言いたいかと言うと、
最初の文にもありますが、何者か、見えない邪悪な糸に手繰り寄せられるように私と姉にとっては不幸になっていった。
僧侶様にとっては全ては神の思し召し(自身の選択の遺憾)というのでしょうが、私には納得のいかないことばかりです。
何も私の生まれて2ヶ月で父親が死ぬことはないし母が人間的にろくでもないのと再婚することはないし、苦労が多い人は霊格が高いとよく言われているようですが有難迷惑です。

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