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差別と区別

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先日、とある室内テーマパークで聴覚障害のある方々が入場を断られたという報道がありました。付き添いに聴覚障害でない方がおらず、テーマパーク側のスタッフは「安全確保に不安があるため」という理由で断ったそうです。断られた方々は「差別」と受け止められたようですが、報道を聞いた限りでは私にはそうは思えませんでした。

どのような来場者にも対応出来る設備・スタッフでなかったことは今後の課題になるのかもしれませんが、「現状では不可能」という意味で言ったのなら、それはそれで誠実な対応だったんじゃないかと。ただ、せっかく楽しみにして来られた方々は残念だったし、とても傷付いたであろう気持ちも分からないわけではありません。

色んなところで差別って問題になっていますが…

これは私の勝手な想像ですが、差別的意図のないものを「差別」と感じてしまうのは、それまでのトラウマや歴史と瞬間的に結びついてしまう心理があるんだろうなあと思います。ひいては、そういう気持ちにさせてしまった私たち健常者(※この言い方嫌いなんですけど、便宜的に使用します)にも少なからず責任があるわけで、お互いに助け合い、思いやり、不完全さを補い合わなければ、どこかで誰かを苦しめるのが当たり前の社会になっちゃうんですよね…

だけど、やっぱりお互いに「差別」を大義名分にして欲しくないというか。
仏教には「分別」という言葉がありますよね。
私は「区別」という、シンプルに「違うものは違う」と言っているだけのものは素直に受け取ってほしいなーと感じることが多々、あります。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

拝読させて頂きました。
断ってしまうことや拒否してしまうことや自分の勝手な思いで制限してしまうことや排除することが差別かと思います。
人はそれぞれに違いがありますから相手のことを聞いて受け入れていくことが大切かと思います。
例えばそのテーマパークで相手の状態を伺ってみてそしてテーマパークでのアトラクションを説明してみてからどうでしょうか?と聞いてみることが大切かと思います。

人を尊重してお互いを素直に受け入れていければ差別はなくなります。それぞれの個性や特性があり共に生きていけるのですからね。

仏様はだれも差別したり排除することはありません。全てのものを受け入れてお救いなさってくださいますからね。

再度拝読させて頂きました。
そうですね、あなたがおっしゃるようにいきなり差別と決めつけてしまうのも乱暴かとはおもいますね。申し訳ございませんでした。
そうですね、対応する方の姿勢によって変わって来るでしょうね。
そしてその後どのような方も受け入れることができるように変わっていければ良いかなとも思います。
テーマパークですからやはりアトラクションではかなりハードなものもあるかとは思いますのでそのアトラクションに耐えられない方もいらっしゃるかもしれませんしね。
いずれにせよ共に相互理解が深まっていくことが大事なことかと思います。
ご質問ご意見ありがとうございます。参考にさせて頂きますね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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受け止め方だと思います。

 御質問頂き有難うございます。今現在社会において差別や区別と受け止められることがございますが、人間それぞれの考え方や思いを持っておりますので、そのような事が起こりますが、相手の立場になって考える事が大切だと思います。私たちの浄土真宗においては如来様の働き(御慈悲)によって浄土に生まれさせて頂く事が出来るという教えですが、差別や区別という事は起こりませんが、ただ悪い事を行えば救われませんという事でございます。回答としてわかりにくいですが、よろしくお願いいたします。  合掌

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おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

ありがとうございます。

>断ってしまうことや拒否してしまうことや自分の勝手な思いで制限してしまうことや排除することが差別

うーん…これは人によって受け止め方が違って「どちらが良いか悪いか決めるべきことではない」という前提での話なんですが、そのご意見は私にはちょっと乱暴に聞こえました。
まず、断るのはこちら側の能力や環境の限界を伝えるために必要なことで、出来ないことを出来ると言って、後で大惨事になれば責任が取れないですよね。このテーマパークの場合は、災害や事故など万が一のことが起きた場合に来場者の誘導や保護責任があり、耳が聞こえない方に対応出来るだけのノウハウや人員を揃えていないなら、現実的に受け入れが難しい状況にあった。つまり、断らなければならない事情があり、それを伝えることが断るという結果になったというだけ。もちろん、オープン以前にどんな人にも対応できる環境を事前に整えておくべきだったとは思いますが、それは結果論に過ぎないとも思いますし。現状に即した対応以外に侮辱的な意味合いが含まれていたならば「差別」と言い切ることは出来ると思いますが、そうではなのにいきなり「差別」と言うのは、なんか違和感を感じるなあ…という補足でした。

>相手の立場になって考える事が大切だと思います。
うん、私もそうだと思います。
だけど、それは「お互いさま」だからこそ、相手への理解が進み、調和可能になるわけで…一方的に相手に合わせることを強要するようなものであってはならないというか。それは、ある意味で相手(例でいえば耳の聞こえない方)を馬鹿にする行為にもなり得るような気がしますよ、私は。身体機能に差があっても、人としては平等なはずでしょ。「相手を思いやりながらも、無理をしない」、誰も犠牲になる必要はない、そのために出来ることと出来ないことは明確にすることが必要なんじゃないでしょうか。
今回の件では、テーマパーク側は謝罪しました。世間の批判を避けるためでもあったかもしれませんが、この一連の出来事によって、彼らは「障害のある方にも楽しんでもらえる運営」という目標と成長の機会を得たわけですが、一方的に「差別」と言った人たちは果たして相手の立場になって考えることは出来たのでしょうか。むしろ、相手が謝ったことによって自己正当性を認められたものと勘違いしてしまったかもしれない…それは平等とは言えない構図な気がしますよ。

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