極楽とは
何かと比較して楽そうであると、
「◯◯に比べたら極楽」と言いますが、
私は極楽に行ったことがないので、
楽の概念としての極楽みたいなので、
本当のところは、どうなんだろうと
思いましたが、実際はどうなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
原語はサンスクリット語の「スカー」(sukhā)
極楽というのはおっしゃる通り「◯◯に比べたら極楽」という「相対的な楽(何かと比べた時の快適さ)」ではなく、「絶対的な楽(それ自体の本来性・平穏・自然)」といったところでしょうか。
仏説阿弥陀経というお経には
「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と曰う。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまう。舎利弗、かの土を何のゆえぞ名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦あることなし、但もろもろの楽を受く、かるがゆえに極楽と名づく。」
とあります。
そして仏説無量寿経も含めて経典に説かれる極楽世界の様子というのは…金銀宝石キラキラ、よい香りがし、よい音がなり、キレイな鳥がいて、水位や温度が意のままになる池があり…そして心地よい風が吹いているといったもの。
つまり、人々が喜ぶ美しい快適な世界が説かれているわけですが、ここで「風が吹いている」というのはなぜかというと熱いインドで考えられたものだからでしょう。これが寒い地域で編纂・成立された経典だったなら「極楽浄土は温かい」なんて説かれていたかもしれませんね。
で、何が言いたいかというと、こうした経典に説かれる極楽というのは「歴史的事実」としてどこかにそういう「理想世界」が実体としてあるということではなく、こうした「説話的表現」でもって人々が仏の教えとして伝承したかったものがあるということです。
極楽の原語はサンスクリット語の「スカー」(sukhā)であり、「極楽」とは中国で訳された言葉です。反対語は「ドゥッカ」(duḥkha)であり、「苦(思い通りにならないこと)」という意味です。
スカーとドゥッカについては下記のブログが面白いかなと思い貼ってみます。
http://zeropointbuddha.hatenablog.com/entry/sukha_dukkha
けして、死後世界や理想世界やパラレルワールドとしての「極楽」イメージにとらわれることなく、今・ここ・自分に説かれるものとしての「極楽」に教えを通して出会っていきたいですね。
私なりに表現するならば「私をあきらかにしてくれる教えがはたらく場」であり、「真実に背き苦を作り続ける私をそこに生まれたいと願わせ救う教えのはたらき」が「極楽」でしょうかねえ。
身近にもあるのではないでしょうか。
極楽、天国、浄土、ユートピアなど、いいところのようですね。
実際に行ったことがないから分からない。たしかにお経の中にも、極楽を表現する部分がありますが、あまりにもスケールが大きすぎて、また、その世界に行くためにはと条件もあったりと、ゆえに理想郷のようなイメージです。
宗祖のお言葉に「浄土も穢土(えど:けがれた世界)もどちらも同じ場所である。ただ違うのは、自分の心の善し悪しよって違うだけである」(現代風に意訳)とあります。
亡くなってから天国や極楽へ行くとかと教えられてきましたが、本当は、生きている今、すでに極楽も、また、地獄も見たり経験をしていのではないでしょうか。
地獄の方が分かりやすいですが、世の中の様々な出来事を見た時、悲惨な事件、事故、災害また紛争、個人においても、病気やケガ、家族の問題など、多種多様にある意味、地獄のような様相が展開されています。ただ、どのように受け止めるかは、自分次第です。
一方、天国ような極楽のような時も経験してませんか。例えば、美味しいものを食べている時とか、自分も家族も健康で仲良く食卓を囲んでいる状況とか、疲れ切った身体や、冷え切った身体を温かい温泉で癒している時など、ああこれか極楽と思いませんは?
もっと色々と楽しいこともあったはずでし、これからもあります。
実は、地獄も極楽も、多かれ少なかれ体験している。体験できるのが、この世であるのです。
亡くなってから、地獄へ行くよ、とか極楽へ行きますというより、今のすべての状況が死後の延長線だと思います。だからこそ、今、努力して良きことを行い、悪いことを避けるのでしょう。
極楽は、自ら作り上げるもです。辛いと思うこと、苦しいと思うことも、よくよく考えたら本当にそうなのか。自分で苦しみを作り上げているのではと解消できたら、極楽になりませんか。とても短絡的かもしれませんが、そう思います。
お答えになっていないかもしれませんが、現実に生きていることは、多くの経験ができるということです。
質問者からのお礼
吉武様、極楽の原語については今回のお話で初めて知りました。
なるほど、解ってたつもりでも改めて正しく知る大切さを感じました。
ありがとうございました。
鈴木様
確かに今でもささやかに極楽と地獄を行き来している
そう感じる時があります。
時おり感じていたこととお話が合致していたので
そうだなぁ~と、しみじみ思いました。
ありがとうございました。