my rule
最近は何だか悲しい私になりつつあります。いつの間にか自分を守るためにできた自分のためのルール。
他人には期待しない。この中の他人は、自分以外のひとです。ようするに傷つきたくないための言い訳です。
自分は味方なのか? 自分にクエスチョンを投げかける時もあります。その回答はクエスチョンでいつも返ってきます。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
己れこそ、己れの寄るべ
【己こそ己の寄るべ 己を置きて誰に寄るべぞ】
『法句経』というお経には、自分自身こそが本当のよりどころである。この自分を差し置いて、一体誰に頼れるというのか。という言葉出てきます。
だから、あなたの考えは間違っているとは一概に言えない。
ただ、この言葉には以下のような続きがございます。
【よく整えし己こそ まこと得難き寄るべなり】
しかしながら、よく訓練し調整された自分自身でなければならない。
あなたの場合はいかがですか?
よく鍛えられているといえますか?
<追記>
”だけど、やっぱり不完全です”
はい、そうでしょう。どこまで行っても不完全です。だから歩み続けるのです。
剣を追求し続ける事を剣道という。空手を追求し続ける事を空手道といい、書を追求し続ける事を書道という。これと同じように、仏教を実践し続ける事を【仏道】といいます。
”それは分かっていますが…。難しいです”
そうですね。で、どうしますか?
もう歩むことを止めますか?それとも歩み続けますか?
私は、それこそ死ぬが死ぬまで歩み続ける所存でございます。
ご都合の味方ではないです
自分は自我の味方ではないですね。間違えなく法体であるこの体はジブンという自我、ご都合の味方ではないですね。しかし、真実をありのままに映し出す体であります。自我、ご都合を中心に生きていては、全てが敵になります。まことを信じ生きていくことです。
質問者からのお礼
邦元 様
「まこと」とは何なのか今の私は見うしなっています。頭では、ハスノハのお坊さんなら「仏教」っておっしゃると思うのですが、分かってはいるのですが、心が分かっていません。
転落院 様
よく訓練し調整された…ですか。
人間としても、まだまだです。まだまだな中で迷って迷って、だけど、やっぱり不完全です。
それは分かっていますが…。難しいです。