「角の二等分線」の先にある世界
私が、中学時代に酷いイジメにあっていたことは、『「喜怒哀楽」から抜け落ちた「怒」』の回で少しお話させていただきました。
お坊さまからのお返事の中で、12歳にして自死した少年のお話しをお聞きしてから、ずっと、一度こちらのhasunohaで、苦しんでいる子ども達へのエールを書かせていただきたいと思っておりました。
何のために勉強しなくちゃならないんだ?子どもの時に、よく思うものです。
私は、中学生の時、数学の先生に「トラスさん、『角の三等分線』に挑戦してみないか?出来たら、ノーベル級の発見だぞ!」と言われました。中学の数学で「角の二等分線」を習いますよね。「角の三等分」を勧めるその真意は分かりませんが、先生は私のどこかに、「光の道筋」を感じ取ってくれていたのかも知れません。
でも、それは、既に19世紀に「不可能」と証明されていたんですね。そんなことも露知らず、私は、時間を見つけては、何度も何度も角を3つに分ける作業を続けていました。
結果から言うと、結局、私には証明出来ませんでした。しかし、イイ線までは行きましたよ。時々、三等分出来たのです。これも後で知ったことですが、「条件付きで、三等分出来る場合がある」とのことでした。
無謀な挑戦でしたが、今は「やってみて良かったな!」と思います。何故なら、その不可能なことに取り組んだ経験から、私は、やりたいこともやりたくないことも何でもやってみよう!と思える性分になれたからです。
経験から得た教訓です。
何でも避けずに時にはぶつかってみることも大切。ダメでもともと「ダメもと」の人生。
マイナスに見える行いをし、プラスに思える感受性豊かな人間を目指すのも、なかなか面白いものですよ。
人生は、いろんなことで、転けたり、躓いたり、ぶつかったり、引っかかったり、後退りしたりしながら、進んでいきます。
今、イジメにあっている子ども達へ。
辛い経験は、生きる糧となる日がきっと来ます。頑張り過ぎないで、ちょっと視点を変えて、違う方向を見つめてみて下さい。生き残る為にも、違うことに取り組み、挑戦してみると、学校以外の楽しみが見つかると思います。学校や友達に拘らないで、1人ぼっちでもいい、新しい道を歩んでみましょう。
生き残って下さい!あなたの尊い命を自ら絶たないで!吐き出してもいい!涙がポロポロ溢れてもいい!必ず救われる日が来ますからね!
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
有難しです
拝読させて頂きました。
あなたのエールは本当に素晴らしいと思います。
何にでもトライしていくことは本当に素晴らしいことですよね!
悩み苦しむ子供達にあなたの強い思いやエールが伝わり子供達の見方考え方が変わっていき生きていく力や勇気や希望に満ち溢れていくことを心から願い祈っています。
ありがとうございます!
これからもずっとあなたが多くの子供達に力や勇気を与えていかれますようにと切に願っておりますし、あなたがこれからもお健やかに豊かな毎日を過ごしながら成長なさっていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。
私も微力ながら子供達を応援していきたいと心から思っています。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様、お返事ありがとうございます。イジメにあっていると、目の前の苦しみで頭の中がパンパンになり、辛すぎて何も見えなくなってしまいます。思考回路も停止してしまいます。その、今目の前にある苦悩だけを見つめていず、ちょっとだけでもいい、顔や体を動かして別の風景に目をやるだけで、今までと違ったものの見方が出来たり、一時的にでも辛さから解放されます。例えなのですが、タイトルのように「角の二等分線」を習う中学時代を乗り越えた、その先にあるまだ見ぬ世界には、一歩足を踏み入れるだけ十分価値のある「新しい自分」や「楽しい!と思える日々」が待っていてくれるはずです。死んだらおしまいなのだということに、気付いて欲しい。煌めく愛しい命を、全うして欲しい。生きる勇気を持っていれば、必ず霧は晴れるよ!と、そっと囁き、そっと見守っあげたいと思っています。世界の全員が敵に見えたとしても、少なくとも私は貴方の傍にいますよ!と声をかけてあげたい。私には微々たる力しかありませんが、仏様が私を見守って下さっているように、(単なる人間ですが)私は貴方を見守っていてあげます!ファイト!と背中をポンとたたいてあげたいと思っています。涙が溢れていても、貴方が今生きているということに誇りに思って欲しいと、切に願っております。