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神様の存在についての確信

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有り難し有り難し 8

初めまして。私は無宗教だと思ってはいますが、日本に生まれたため、儒教、禅、老子、仏教などの影響を強く受けており、また、ラルフ・ワルド・エマーソンも尊敬しているため、影響を受けています。しかしながら、色即是空、空即是色が私が認知できる世界の結論だと思っています。(演繹と帰納しか出来ない我々、人類の限界)

さて、本題ですが、私は、神様の存在を確信出来る体験をさせて頂きました。神様は、心にいらっしゃるという話を巷で良くききますが、まさにその通りで、メタ認知をこえて、確信できる出来事を起こしてくださいました。自分の存在のちっぽけさ、明智に対しての答えをそれなりに教えて頂いた気がします。そこで、質問なのですが、皆様は神様、あるいは仏様を、存在すると確信出来る体験などはなさっているのでしょうか?

2018年8月2日 19:56

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様の存在論-仏様として見出す

神様については私はわかりませんが、あらゆるモノ・コトが「因(原因)・縁(条件)・果(結果)」による相互依存で仮に成立していると見る仏教的視点に照らすならば、運命の支配者や、世界の創造主のような存在としての神は存在しないというのが私見です。

では仏様はどうかというと、歴史上に実際に存在したのはお釈迦様ことゴータマ・シッダッタです。
私たちと同じ人間であるお釈迦様は覚りを開いて仏様になったわけですが、覚りとは目覚めです。お釈迦様は何か新しい概念を作り出して仏様になったとのではなく、お釈迦様が生まれる以前からあった真理(道理・法則)に目覚めて仏様になったのです。

そこで、お釈迦様をして仏様たらしめたものがあるという説が展開されていきます。三身(さんじん)説です。

法身:姿形を超えた真理そのものである仏身
報身:真理が慈悲として働き出る能動性・精神性に報いて得られた仏身
応身:私たちの能力や状況に応じて仮に現れた仏身

大乗仏教になると様々な経典に種々の超人的な仏様の存在が説かれますが、これはお釈迦様の教えによって真理に目覚めた仏弟子たちが、お釈迦様をしてお釈迦様たらしめた法身や報身について、説話(物語・神話)的表現をもって編纂・作成した経典であると思われます。
歴史的事実としてあった出来事ではなく、そこにそれぞれが出会った教えを表現したのですね。

ですから、たとえば宇宙の真理そのものとしての大日如来や、全ての生きとし生けるものを極楽浄土に往生させて救うと誓った阿弥陀如来などの仏様は、その仏様が実体として現実にこの世界に存在するのではなく、そういう「はたらき」をそれらの「仏様」として見出し、称し、そして敬っていくという存在論になります。その存在は歴史的事実ではなく「(私を真理に目覚めさせる)はたらきとして事実」です。

だから一冊の本や、私の嫌いな人や、私の大切な人の死という出来事や…まあ、あらゆるモノ・コトにおいてそこに仏様としてのはたらきを見出したのなら、「私にとって」という意味で事実として仏様は存在します。

その時大事なのはあくまでも私の側の体験や心情・感情ではなく私を目覚めさせた「はたらき」が仏様だということです。
私の側の体験や心情・感情は縁によって変わるウサンクサイものであり、確かな拠り所とはならないと浄土真宗では考えます。

2018年8月2日 20:50
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有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

質問者からのお礼

真摯に回答して頂きまして、ありがとうございます。亡くなった祖父が、浄土真宗ですので何かの縁を感じております。
浄土真宗の視点で語って頂き、ありがとうございます。

「はたらき」を行う者、「はたらき」だと感じさせる者、そう思う様に心を動かす者こそが、神様だと思っています。
私の体験では、自分の思い、考えと思っていたのは自分ではなく、良い思いも、悪い思いも、多くの心の動きを神様によって動かされていたという事実を教えて頂きました。ひらめきや、虫の知らせなどはまさに神様による働きだと確信しています。できる事は、意志を持って”選択”出来る事だと思っております。

※仏様と書くと、ブッダさんが出てきてしまう様なので、人知を超えた力という意味で神様で統一しました。

正誤
×ブッダさん
○ゴータマ・シッダッタさん

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他の宗教を学ぶという事

私は…スピリチュアル的な物(パワーストーンとか占い)にハマった→流行りの御朱印集めにハマった→神社とお寺の参拝にハマった(その過程で神様や仏様と摩可不思議過ぎるご縁を頂きました!)→現在、神道と仏教の知識(書籍やネットが主)を学んでいるといったプロセスを踏んでいる者ですが… そんな私が「イスラム教」や「キリスト教」など世界の宗教を“なんとなく書籍やネットで学んで”良いのか…“仏教のお坊さんに”教えて欲しいです 何でそんな事聞くかと言うと…うまく説明出来ないのですが “神道の神様や仏教の仏様”に「こいつ異国の宗教に浮気しやがったな!?」って思われたり「こいつが我々に抱く信仰心はこんなものなのか…」って思われないか…どうか ちなみに何故私が日本にあまり馴染み無い宗教を学ぼうと発想したかと言うと単に他国の神の考え方捉え方を知りたくなった…それと 【高次元の存在は確かに存在するのだろうが、仏教神道といった宗教という人間の作った1つ2つの枠組みには捉えきれないものであろう、より多くの宗教(高次元の存在の考え方)を学べば、より高次元の存在と近しくなれるのではないか?詳しくそれらの存在を定義が出来るのではないか?そもそもその宗教に高次元の存在はいるのか】と発想がふと浮かんだからです こういったある種の実験(?)または知識欲の充実を図りたいのですが…どのような結果が付きまとうのか不安なんです “影響されやすい自分”が新たな知識や信仰を得てどのように仏教と神道を見直すか、場合によってはどのような報い(天罰とか仏罰)を受けるのかとか… あまりこんな事言うべきじゃないと思うのですが宗教は教義の違いからともすれば互いを否定しがちですもんね 私はそもそもお坊さんではないし在家信者の定義にも当てはまらない只の“神道仏教ファン”に分類されると思うので失礼は承知なのですが… 恐らくお坊さんの中には私と同じ事を発想された方がいらっしゃるのでないかな?と もしかしたら私のようにビビってまごついてる前に実践された方もいらっしゃるのでないかな?と思って質問させてもらいました どうか回答お願いします

有り難し有り難し 23
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宗教脱退したあと

4年程前にこちらで宗教についてご質問させて頂きました。ありがとうございました。 その後についてご相談させて頂ければと思い質問させてください。 私自身、夫が入っていた宗教へのトラウマは徐々に前向きとなり、試行錯誤で歩んでおりますが、脱退した(夫は脱退させられた気持ちが強いかもしれません)夫自身はそうでなかったようです。 私がどれだけ気持ちを前向きに変えようとも、夫自身は私でも息子でも埋められないぽっかり穴があいてると言われました。宗教を失うことによって、仕事も何もぶれる、お前自身は辞めたら幸せになれるって言ったじゃないか!!と言われ、今更ながら夫に宗教を辞めさせた私がいけなかったのかと、私がぶれてしまいます。 結婚してから入信してることを知り、人は死んでも死後硬直しない、太陽が直視できるようになる、地獄に落ちるから宗教の内容や名前は言ってはいけないなど、特殊な宗教で、我が家の場合は家庭が壊れてしまうと思ったので、辞めてもらった?辞めさせるようした?のですが、あれから何年経っても、夫は心に穴が空いたままなのが分かりました。 私自身、身内がお坊さんなのですが、人を労る気持ちや感謝の気持ちなどごくごく自然に教えてもらったのですが、夫自身は家族以外に頼れるものを失った気持ちが強いことが伝わってきて何とも言えません。 このままめげずに心を持って暮らしていけば夫の心の穴は埋まるのでしょうか?? 

有り難し有り難し 18
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信心するしないは、幸せに関係しますか?

いつも、ありがとうございます。 時々、疑問に思う事を質問させて下さい。 私の母は、昔から凄い信心する人で、私が思うに母が若い時に死ぬような病を祈願してもらって助かったことから、信心するようになったのかもしれません。 私が小さい時、お地蔵さんにお参りなど一緒に連れて行ってました。お寺や神社、お地蔵さん、ほんとによく通ってました。 私達が無事に過ごせますように。とのお願いをしていました。よく聞きますが、自分が年をとって人の手を取らなくていいように…のお願いもしていました。 そして、現在は私に依存しきってます。どんな時も私にです。人の手を取らなくていい!なんて有り得ません。とにかく私は、母の依存に疲れてます。年取ったから仕方ないとは思ってますが、仕事も忙しく、家事もして実家のことまで…それに適応障害の弟の事まで。 信心して、あれ程祈ってたのに。なので私が思うに人の手を取るとかは、自分の心の持ち方で変わると思います。そんな母の幼稚さ?になんだか悲しくなったり… 母は今では全く信心の気持ちは無くなってます。なんで、あんなにお参りしたんだろう?何もならんかった。と言ってます。 それに比べて私の友達の家は全くの無信心です。お父さんが亡くなって初盆でも和尚さんも呼ばずにお経もあげてません。 けれど、お母さんは、いつも前向きで 一人暮らしですが楽しく生活していて、娘(私の友達)に依存する事なく自立しています。 生きていくうえで信心していれば幸せになる、無信心だとご先祖様からも応援してもらえない。 なんて事は、関係ないのでしょうか? それは私の小さい頃からの思い込みでしょうか? 母からの依存は年だから仕方ない、後何年生きるかも分からないから、色々不満を持たずに接して行こう!とは思う時もありますが、ほんとにほんとに疲れます。 体が不自由になった訳でもなく、歩く速度は遅くなりましたが何でもできるのに、ヘルパーさんの仕事に買い物を頼んでるのに、週1は必ず私が買い物に連れて行かなくてはいけない事、それを母は当たり前と思ってる事も…ほんとに疲れてます。 母が亡くなるまで、こんな事が続くのかと思うと何とも言えない気持ちになります。 そんな気持ちを母に言っても何とも思っていません。 こんな私に何かお言葉をお願いします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
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