人を愛し、愛される方法
子供の頃に大事にされず、愛されず育った人は、大人になってからどうすれば人から愛されるように、人や自分を愛せるようになるのでしょうか。
基本的に「愛されたことのある人は、人を愛することが出来る」
「人を愛せる人だけが、人から愛される」
「人から愛されるから、自分のことも愛せる」
「自分のことを愛せる人は、自分に自信を持てる」
といった仕組みがあると思っています。
しかし、この理論で行くと、子供の頃に最初の「愛される」という段階を踏めなかった人は自分も他人も愛せず、愛されることもありません。自分に自信も持てません。
自信を持てないと、他人を避けるようになり、さらに他人から愛されるという状況から遠ざかります。
他人から愛されない人は、他人を大事にすることも出来ないので、さらに他人から愛されなくなります。
他人から愛されないので、自分のことも愛せません。というか、愛されなかったために愛し方を知りません。
自分のことを愛せないので、他人のことも愛せません。
この袋小路から抜け出すにはどうすればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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与えて頂いたことを
拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃるようなお考えもありますよね。
よく愛情を受けて育たないと愛情を注ぐことがわからないということは言われますよね。どうしていいのかわからないからだとも言われますね。そのようなお考えも一理ありますね。
私達は不思議なご縁で両親から生命を与えてもらい、沢山の方々から育まれてあまたの生命を頂いて成長させて頂き今ここに生きています。
ですから親に限らずに様々なご縁を頂いているのです。
毎日いろんな方々との交流の中でも育まれ慈しみの気持ちを頂いているのです。
当たり前のように頂いている愛情や慈しみや育まれる心やあまたの生命を私達は毎日頂戴しながら存在させて頂いています。
それは多少の違いはあるでしょうけれども頂戴していることは一人一人沢山あるでしょう。
ご縁のある方々や全く見ず知らずの方々からも頂いていることに変わりはありません。
そのような周りのことや人々のことを感じたり見つめ直したりしながら与えられたことを素直なお気持ちで受けとれることができるか、或いはそのようなことや人々に感謝の気持ちを持つことができるかどうか、それは人それぞれに違いがあるでしょう。
どんなに沢山の愛情や慈しみやものを与えられたとしても与えられた当人が当たり前として何も考えず何も感謝なさらずに、かえってあれもこれもと要求したり、感謝の気持ちもないならば、その人は人に愛情やものを与えることよりも自分を満足させることに執着してしまうのではないでしょうか。
わずかながでも与えて頂いたことをそのご縁を大切に感じて感謝の気持ちを表して、そして自分が与えられたことを人に与えたいと願うお気持ちが大切ですし、愛情や慈しみを与えるもとになっていくと思います。
私は何も親兄弟から親族から与えられ愛情ばかりが重要だとは思いません。親からの愛情は大切ですがそれ以外から与えられる無償の愛情も何より大切だと思います。
全ての人が親兄弟から与えられるばかりではないと思います。
周りを見渡してみると今まで与えられたことを改めて見つけてみて下さいね。そこでは与えられない負のスパイラルではないいつもいつも与えられているブラスの力やスパイラルがあるでしょうからね。
あなたがこれからも沢山の愛情や慈しみを皆さんと共有なさり豊かなご縁と毎日を過ごして頂きます様心よりお祈りしてます。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。