割り切れない私
武道を始めて10年近くになります。稽古の時間があるのは本当に幸せです。体を使い果たすまでは学びたいと思っています。
ある日、私が大切に扱う道具を仲間が無断で触り大きく破損しました。
私は、物はいつか壊れる物だと自分に言い聞かせ、感情の高ぶりを堪えて、相手がどうされるか涙を浮かべながらも相手を見ました。
相手は謝罪の一言もなく「割れたな? 代わりはいくらでもあるだろう?」。
そのまま自分の稽古を続けました。
私は脱力感で一杯になりました。
両親が心を込めて選んでくれた道具でしたし、大切に使っていました。
相手には私に無断で触って、壊したのに謝罪の言葉もなく悲しいと静かに訴えました。
相手は「私の50年前の道具がある。貰い物で気に入らないから削ったけど、それを使え。代わりはいくらでもあるだろう?」だけでした。
私はもうこの人は自分が何をしたのか分からないんだと脱力感で一杯で、二度としないようにと訴えました。それから私は稽古をする心が消えました。
道場の先生方に相談しても、我々は干渉したくないでした。(面倒には関わりたくない、蓋をしたい)
私はこれは轢き逃げと同じで、納得出来ないと筆頭の先生に訴えました。
その先生は、驚いて話を受けて下さり、先方に修理代を負担するよう伝えます。と私の器に合わせてくれました。
職人から修理が出来ない、全損で新たに購入となりました。
事情を知る仲間が私にそれからの道場の日々の様子を伝えてくれました。
他の稽古仲間には今回の破損が、伏せられていますので、皆変わりなく稽古をしているそうです。
その人も毎日変わらず楽しく稽古をしているそうです。
だから貴女も気にせず稽古しなさいよと励ましてくれます。
私も稽古をしたいのです。
稽古は厳しくても私は好きだから、その時間が愛しいのです。
でも、あれから心身がおかしくなりました。もう2ヶ月は軽く経過しているのに毎日夜になると、勝手に涙が流れます。
体が道場に向かいません。相手に会いたくない。頭痛がします。
先輩方に相談しても皆な、黙っています。関わりたくない、関係ないと迷惑そうです。
道場を変えることは出来ません。行けば必ずその人にも会います。
終わった事なのに、時間が止まり凹んでいる私なのです。
どうすれば歩き出せますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
道を歩む姿勢
はちさん初めまして。
ご質問読ませて頂きました。
無断で人のものを使い、破損させて「ごめんなさい」が言えないとは武道家として失格ですね。いくら強くなったとて立派な武道家とは言えませんね。
では武道家とはなんなんでしょうか?
いや、そもそも武道とはなんなんでしょう。
日本には古来より
柔道、茶道、華道、書道、剣道など沢山の「○道」があります。
仏教も、もともとは仏道と呼ぶことが多かったのです。
このように数々「道」とつくものが日本にはありますが、
この「道」とつくものにはある共通の心があるのです。
柔道や剣道等の武道なら
敵を外に見出しそれを打ち負かすのでなく、敵を己に見出しそれに打ち勝つのです。
だから相手に勝っても喜びを表現せず、相手を称えるのでしょう。
茶道、華道、書道などは茶を通し、花を通し、筆を通して
「自分を、己の心のありさまを」見つめていくのでしょう。
仏道も然りです。
外向いてついた目の玉をぐるりと内側へむける。他人ではない、自分のありさまをよくよく見つめていくのが仏道です。
古来より「道」とつくものはこのように、
自分を見つめていくものです。人ではない、自分に敵を見る。
他人ではない、自分に打ち勝つ。人に差し出したお茶に自分の心が映し出される。
どこまでも、自分というものが一番の相手である。決して相手はどうでもいいという訳では勿論ありませんが・・
これが「道」の心であると私は理解しています。
無断で借りて、壊しても謝れない。というのは所詮その程度の武道家なのです。
いや、武道家とは言えないかもしれませんね。
しかし、武道の基本は、道の心は?
というと己を見つめ、己に敵を見ることであります。
はちさんがはちさんを見つめ、はちさんの中に敵を見、はちさんの中の敵に負けない。
そんな人をこそ武道家と呼ぶのだと私は思います。
質問者からのお礼
初めての相談にお言葉をありがとうございます。とても心に沁みます。
私の器は未熟で脆く、頂いたお言葉を正確に咀嚼出来るのか、不安です。
指し示して下さった「道」のお話を自分の中で自問自答しながら、一条の光を信じて、少しずつ前を向いていきたいと思います。
私は白紙状態になり、途方に暮れました。ですが、見方を変えて、もう白紙ですので、自由にどんな線も描けるのだと少しだけですが、思えるようになりました。
その相手にも期待せず、周りにも甘えず、ひたすら静かに自分に向かっていけるように、まずは目の前のやるべき事を一つ一つ集中していきます。
ありのままの自分をそのまま受け止めて、そのまま流せるといいな。本当にありがとうございます。