知人の病気平癒の祈り方を教えて下さい
はじめまして。
今回は知人が病に倒れてしまい、快復を祈るためお参りをしたいと考えているのですが
恥ずかしながら神仏やお参りなどの作法に詳しくなく、どうすれば良いのかが分からずご相談させていただこうと思った次第です。
今回お参りをしようと思い至った経緯としては、職場で私が一番信頼をしている友人が急性の心不全を起こしてしまい入院してしまっている状態です。
本人の所へ直接お見舞いに行ければと思うのですが
職場の同僚という関係性だけですので、ご実家とお付き合いがあるなどの仲ではなく
また、本人と連絡がまだ取れない状態にあり上司を通してもご家族からの連絡内容は個人情報として開示が難しいという事です。
私のエゴではあると思うのですが、何とか私に出来る事が無いかと思い
病院平癒などにご利益がある神社やお寺への参拝をと思い至った次第です。
今回お伺いしたいのは、その参拝の仕方です。
友人の出身都道府県に病気平癒にご利益があるという神社を見つけ、次の休日を利用して伺おうと思うのですが3点お伺いしたい事がございます。
まず、参拝に関して服装などの作法はございますでしょうか。
またお守りを1体授かりたいのですが、前述の通り本人へ直接渡せない状況にありますので
友人への病気平癒を祈るお守りを私が身に付けても良いものでしょうか。
その際身につけ方などもあればご教示頂けますと幸いです。
最後に、快復するまでに断酒をしたり禁煙をしたりと何かを「断つ」事をされる方もいらっしゃると伺った事があるのですが
そういったお祈りの仕方もあるのでしょうか。
普段から信心深くお参りに行っている様な敬虔な人間であれば、こういった作法も分かるのでしょうが
有事の際にだけ頼ってしまう様な人間で申し訳ありません。
不躾に質問したばかりで申し訳ありませんが、何卒ご回答いただけますととてもありがたいです。
どうかよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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一念三千
拝
作法や修法
お守りやお札など色んな方法があります
しかし形や技術に囚われては
1番大切な事を見落としてしまいます
私達の「祈り」
つまり瞬間の生命の一念は光よりも速く響く
そう教えているのが一念三千という言葉
私は元々在家の人間ですが
お坊さんになって当然
毎日何回も祈るようになりました
私のようなチャランポランでもこのような生き方をしていると
祈る=思い=念=心の置き方
がどれほど大事か思い知ることになりました
もちろん人の命を救う事はできないし
自然の摂理には逆う事は叶いません
けれども
私達の一念は
時間やあの世の境界を超えて
全ての世界に通じています
ですから手紙やお守りなど届かなくても良いのです
あなたが祈る力を信じ
相手を思い
手を合わせられるならば
それは三千世界に届き力を貸してくださる
仏にも既に届いているという事です
己の欲を絶って意識を祈りに集中させる事も悪いとは言いませんが
近くに明らかに良い指導者がおらず
正しい道を照らしてくれないなら
ただの迷信
良い事をする人を迷わせる人も多く
私は決してお勧めしません
合掌
質問者からのお礼
お話ありがとうございます。
一念三千、初めて知る言葉でした。
形に囚われすぎず、自身なりの精一杯の礼を尽くして
誠心誠意お祈りをしてこようと思います。
ありがとうございます。