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性欲の強さに困っています

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お恥ずかしい話、元々性欲が強い方でしたが最近自分の性欲の強さに困惑しています。
性欲は強いのですが男性との性行為はそこまで好きではなく、今までは自慰行為などで解消してきました。

しかし最近それでは解消しきれず現在彼氏もいない為、交際関係ではない男性と性行為をしてしまい、それが出来ない日が続くとイライラしてしまいます。
こんな日々が続いており真剣に悩んでおります。
インターネットで性欲の減らし方を調べ、運動など始めましたが効果がありません。

冷やかしの質問のように見えるかもしれませんが真剣に悩んでいます。
女性の性欲を減らす方法はないのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

性欲 から 聖欲へ  アハーン♡ から ネハーン(涅槃)へ 

こんにちは♡
まぁ、それはそれは♨お盛んですこと♡
じつは私もアタマの中はいつもHの事だらけ。
Hと本堂の債務のことばかりのH坊主、エロエロエッ債務タンゲともうします。
Hの事とは、もちろんホトケのホの字、Hのことですが。
ホトケさまもその親がHして生まれてきましたわけですから。
よってセーコーイも聖なる性行為、聖行為ですな。
性行為そのものに罪はありません。
罪作りにならない性行為は清らかなものです。
ところが、性欲がお♡サカン♡と来ましたですか、こりゃハナ寺仏ー(ハナジブウ)ですな。
聖欲の強さも才能です。
エロは才能と思いましょう。
エロい事をもっと考えましょう。
ご飯の時もエロい事を考えましょう。
お風呂の時もエロい♨事を考えましょう。「エロいね!」クリック!
エロだって世の中の役に立っているのですよ?
エロは売れます。ニーズがあります。ただ、品位が問われます。
あなたのご質問にもみんな興味津々でしょう。
それだけ、みな自分の持っている性欲に問題を抱えているのでしょう。
エロを肯定してエロ小説を書けば売れます。
エロ産業はいつの時代もなくなりません。
それだけ確かなニーズがあるのですから、やましいことではありません。
あなたと同じくらい聖欲の強い男性と一緒になりましょう。
草食系と僧職系と早漏系ではあなたはMANZOKUできないでしょう。
別にエロ小説家にならずともいいですが、エロの探求は人間性の探求でもあります。
もともと持って生まれたもの。そなわっているもの。
どうにもならないそのエロ欲求もとことん極め尽くして見極めてください。
エロを通して人間が、あなたが求めていることの根源が見えてくると思います。
性欲を聖なる欲求へ昇華させるのです。
真の満足はちゃんとあります。それが仏教の最高境地アハーン♡じゃなく、涅槃~♡です。
涅槃の境地への入り口はエロであっても構わんです。
ただし、いつまでも性欲のままにしていてはあなたも得る者がありませんから「聖欲」へ向けて精進してください。
アハーン♡からネハーンへ GOOD成仏。 

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

性欲で死ぬことはない

性欲で死ぬことはないですから安心してください。
とはいえ、イライラしてしまうのは苦痛ですね。
お釈迦様が説かれた性欲と戦う方法としては、身体は不浄であると観察する方法があります。
どんな美男美女でも一皮むけば内蔵ドロドロのうんこ袋なのだとイメージするわけです。

あとは、性欲って、そのことを考えていないときは欲が消えるわけですよね。
だとすれば、性欲が強いというより、性的な妄想をする時間が多いという、思考の管理の問題かもしれませんね。

他に考えることがあれば気がまぎれます。
他の趣味を増やしてみてもよいかも。

まぁでも、犯罪と不倫にさえ走らなければ、性欲が強いのも健康な証拠、かもしれません。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

性依存症、セックス依存症の疑い・・

しゃけ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

性行為は、普通に人間の持っている大切な生理的な機能、生殖的な機能の一つであるため、それを否定してしまうとなれば、人間の種の存在意義、自分自身の存在意義さえも否定してしまうことになりかねないため、それは良くありませんが、あまりに何か依存的に極端に陥ってしまっているとすれば、何らかの問題が発生している可能性が高くなりますので、気をつけなければならないのではないかと存じております。

もしも、生活や仕事に支障をきたしてしまう、過度なストレスになってしまっている、というようであるならば、性依存症、セックス依存症なのかもしれませんね・・

それならば、ご自身で何とかされようとしても難しい場合もございますので、是非、専門の医療機関や心理カウンセリングへと治療に行かれるというのが良いのではないかと存じます。

調べてみましたら、下記の漫画での解説が分かりやすいかと思いますので、ご参照下さいませ。

マンガで分かる心療内科・精神科「あなたも実は、性依存症・セックス依存症!?」
http://yusn.net/man/464.html

重要なポイントは、「自己嫌悪を抱くかどうか」・「問題になるかどうか」というところとなります。

やや当てはまられてしまっているような・・

とにかく、何でもそうですが、極端を避けてのバランス良くが大切になります。仏教的に言うならば「中道」ということになります。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

大変遅くなりましたが、皆様ご回答誠にありがとうございます。
あれから変わらぬままですが、前よりはイライラすることもなくなってきました。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ