コンプレックスから抜け出せません
「自分は駄目な人間なのだろうか」というコンプレックスから抜け出したいのに、いつまでも囚われ続け、悩んでいます。
自分の人生について周囲から「根性がない」「甘えている」など指摘を受けます。とくに親族からは、「理解できない」「社会人に必要な能力がない」等々、言われてきました。
昔不登校だったことや色々あって転校したこと、精神科に通いながら会社勤めをしているけど上手くいっていないことに対して、周囲は私に思うことがあるのだと思います。
しかし、自分としては、そのときできることを精一杯やってきたつもりです。
だからもう、たとえ普通の人が苦労して乗り越えているハードルを越えられていない(人並みの努力ができていない)のだとしても、私は顔を上げて自分の人生を堂々と生きていきたいのです。
最近、夜になると人生を振り返って、自分に自信がなくなり涙が出てきます。
「正しい人間か駄目な人間か」なんて、昔のことを振り返ってしまう自分にもううんざりです(しかし気づいたらその思考パターンに陥っています)。
また、周囲の言うことを必要以上に気にして時間を使ってしまうのも、嫌なのにやめられません。
今やることに打ち込んで、ぐだぐだ悩むのはきっぱりやめるしかないと...理性で分かっているのですが。
ぐちゃぐちゃな文章になってしまいましたが、励ましやアドバイスなど、何かお言葉を頂ければ嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
コンプレックスを認められる人は強い人です。
亀山純史と申します。
人は自分の価値判断で物事を見て、そして人を評価します。つまり、自分の価値基準の中に入らないことに対しては、必然的に低い評価になります。
では、自分の価値基準は何によっているのでしょうか。仏教的に言えば、様々な因縁によっていると言うことです。その人の生まれた場所(国や地域)の文化、親の価値観、兄弟姉妹の有無、友人関係、自分の健康状態、等によるのです。したがって、「自分の価値基準は絶対だ。」と思っても、それは絶対的なものではない、と言うことです。逆に「自分は駄目人間だ。」と思っても、絶対的な駄目人間はいないのではないでしょうか。世界の偉人と呼ばれている人たちだって、完璧な人間だったという人はいないでしょう。コンプレックスを持っているのは、あなただけではなく、みんなが持っているのです。そして、それを認めることが出来る人は強いのです。それは完璧な人間なんていないことを知っているからです。ですから、人の欠点ばかりを言う人は、実は、自分自身が非難されることに弱いのです。
最後に、お釈迦様は「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやってこない。だから現在のことがらをそれがあるところにおいて観察し、揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践せよ。ただ今日なすべきことを熱心になせ。(「中部経典」より)」 と仰せになっています。今日なすべきことに熱心なあなたを、仏様は応援しています。
以上が私からの回答です。少しでもお役に立てれば幸いです。
質問者からのお礼
回答いただき、ありがとうございます。
とても気持ちが救われました。過去はもう捨てられた...その通りですよね。コンプレックスを抱えている今の自分を受け入れて、前に進みたいと思います。お釈迦様の言葉を胸に、頑張ります!