遺伝に疲れました
私は、遺伝的な病気で、学生時代のほとんどは、歩けませんでした。痛い検査や、入院や、リハビリや投薬で、やっと日常生活を送れるまでになりました。
それは、嬉しいことですが、この時から、なんで自分だけ、という気持ちが芽生えてきました。
一重や、髪の強いくせっ毛など、感じていた小さなコンプレックスは、バイトでお金を貯めて、解決していきました。
その数年後、私は、なかなか太れず、痩せすぎる、ハードゲイナーだと分かりました。これも遺伝により起こり、人一倍ガリガリで、私は特に脂肪がつきにくすぎるので、スタイルもとても悪いです。そして、今回は、どう努力しても治りませんでした。
生きてるだけでありがたいことや、自分の環境が恵まれていることも分かっていますが、自分をどんなに磨く努力をしても、次から次に改善点が見つかります。
周りの女の子たちも、見えないだけで、苦労や努力がたくさんあると分かります。
それでも、自分は他の人より持っておらず、劣っていると思います。
私の遺伝の組み合わせは、社会でかわいいと思われたり、スタイルがよかったりの真逆なので、最初は努力してカバーしようと頑張っていましたが、標準体重にすることだけはどんなに頑張っても、身長160㎝で、体重39㎏から動かず、やせすぎのまま、変わりません。
そんな悩みは贅沢だなどと言われるかも知れませんが、自分をどんなに磨いても、劣ったままだという考えになり、周りの女の子は、自分に足りないいろんなものを持っていて、などと考え、女の子を見るのが、辛くなりました。
周りが私の長所と言うものも、結局努力無しでは無くなるもので、遺伝に逆らうのも、何かを人並みにそろえるために頑張るのも、疲れてしまいました。
自分を磨いても無くならない劣等感は、どうしたら無くなるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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花束の花がお互いを飾りあう
遺伝による特徴には、メリットとデメリットがあります。
たとえば一重まぶたは、眼球を寒さから守るために「進化」した特徴だそうです。
痩せている人や小柄な人にも、その体型だからこそ可能な能力(メリット)があるはず。
食べ物が豊富な現代では太りすぎで病気になる人も多いですし。
車で例えるなら、ダンプカーも箱バンもスポーツカーも、世の中には必要なバリエーションなのです。
花束にも色んな花があります。
一見地味なカスミソウが、花束全体を飾るなど。
そう、あなたも、花束全体の視点で見れば、必要な存在です。
種類の違う花同士がお互いを飾りあう、そのような世界だと思ってはどうでしょうか。
質問者からのお礼
すぐに回答いただき、ありがとうございます。
デメリットだけでなく、メリットも探そうと思います。
カスミソウの例えのように、遺伝も個性だと思うようにします!
心が軽くなりました!本当にありがとうございます。