なぜ?
よく、死にたいと言う人がいます。何故なんでしょう。世の中には生きたくても生きられない人が沢山いるのに、健康で生きていて何でも出来て、贅沢だと思います。理由は色々あるんでしょうけど、私も死にたいと思う事は何度もありました。今も思います。娘が死んで火葬される時私も一緒に焼いて欲しいと思いました。病気になって、自由に歩けなくなって、目も見えなくなって、車椅子の生活で不自由になっても死にたくないと言ってた娘、助からなかった娘、なのに五体満足に生きている人達の死にたいと言う思い、私には理解出来ませんが、ちゃんと生きて欲しい。哀しむ人が必ずいるから、気付いてあげられなかった事を後悔して苦しむ人が必ずいると思うんです。残された者は一生苦しい。死んだら楽になるなんて思わないで欲しい。
そう願わずにはいられません。
私がまだ20代の頃、友達が不倫の果てに捨てられて自殺してしまった時もそう思っていました。馬鹿な奴だと…男なんてまた見つけたらいいのにって。死んでしまったら命勿体ない。お金じゃ買えないから…。と思います。
娘(享年9歳5カ月)が亡くなった事が受け止めきれない
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当たり前ではない。
"世の中には生きたくても生きられない人が沢山いるのに"
"健康で生きていて何でも出来て、贅沢だと思います"
"死んでしまったら命勿体ない。お金じゃ買えないから…"
いやー、まったくもってその通りなんですが・・・。
『さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。』(親鸞)
人間は、縁によっては何をするかわかったもんじゃないと親鸞さんは教えてくださいました。一切の事象には【原因】と【結果】があり、その間をつなぐものが【縁】です。たとえ心臓に毛の生えたようなどんなに図太い神経の持ち主でも、死にたくなるような事態に陥るという縁が繋がってしまえば、やっぱり死にたくなるものなです。仏に仕える坊さんだろうが、神に仕える神父さんだろうが、やっぱりすべては縁次第。
だから、命を大切に思えているのは、じつは大変有り難いことなのです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。私も自死は極楽浄土には逝けず、死んだ後更に苦しむ、だから死んだらいけないと思って生きて来ました。寿命を全うした人と同じ所には逝けないと…。自死を選んだ人を冒涜するつもりはありませんが、ただ娘が死んだ後、テレビで自殺の名所として有名な東尋坊が出ていて、生きていればきっといい事もあるだろうにそれを全部失くしてまで選ぶ道だったのかな?って娘が死んだ直後だったから尚更そう思ってしまったのだと思います。娘の四十九日は年明け 元旦です。娘がいない初めての元旦が四十九日です。死にたくないと言ってた娘を思うと胸が潰れそうになるのです。