今あるものは全てなくなるなら回答受付中
母校も、高校受験前日に泊まり、怖くて夜中に泣いた思い出深い宿も、小さいころからよく親に連れて行ってもらった店も、山の恩人も仲間も、どんどんいなくなってしまいます。時代の流れには逆らえないです。でもだとしたら、必ず世界からいなくなる運命なのに、なぜこうも七転八倒しながら、生きるのだろうと、そう思わずにはいられないです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの人生はこれから
的外れな回答となったら、どうかご容赦ください。
「世の中に何一つとして恒常的な存在はない(諸行無常)」というのは、釈尊が見つけた真理であり、仏教の教えの柱の一つでもあります。
だからこそ、「すべてのドゥッカ(苦しみ)の原因である執着を手放せ」と説きます。
さて、登山家としてエベレスト、チョーオユ(無酸素)等の登頂に成功し、執筆したノンフィクション作品が数々の賞を受賞するなど、あなたの半生は誰もが羨むような輝かしい栄光に満ちたものだったと言っていいでしょう。
そんなあなたが突然、統合失調症を発症し、現在は障害者年金を受けながら農園で働いているというのは、まさに人生の無常を体現しているかのようです。
あなたが今、苦しく感じるのは、あなたがそれを意識しているかどうかに関わらず、過去の栄光に執着しているからではありませんか。
最難関とされた山々に挑んだことも、心の病によって挫折を強いられたことも、すべては過去の出来事として忘れてしまいましょう。
「残りの人生」なんて言い方は、もうやめましょう。
私からみれば、四十歳を過ぎたばかりのあなたは、人生の赤子のようです。
あなたにあるのは、希望と楽しみの予感に満ちた「これからの人生」だけです。
“なくなった”のではない“譲った”
全ての“問い”とは、答えが決まってから作られるものです
問うてから答えを探すように勘違いしている人も多いですが、逆です
全ての問いは答えから生まれます
例えば
『私は何に恵まれているか』という問いは
『私は何に恵まれていないか』という問いと同じ意味です
同じ意味ですが、答えが違うことに気付くでしょう
つまり、一つの現実、一つの状況に対して、自らが欲しい答えを得るために人間は“問い”を作るのです
あなたは『なぜ生きるのか』に疑問をお持ちの様ですが、そこに疑問を持っても幸せな答えにはたどり着けません
なぜなら
『なぜ生きるのか』という問いの答えは常に、
『じゃあ生きなくてもよい』という答えにたどり着くようにできているからです
人は問う時、問うた対象を選択できる気になります
“死ぬ”ことを前提に“生きる”ことを問えば、“生きる”か“生きないか”を選択している気になってしまいます
しかし、実のところ人間にとって、“生きる”も“死ぬ”も前提です
そこに自由はなく、生まれた以上は生きるし、死にます
ではどう問うべきか
『なぜ死ぬのか』と問うべきです
“生きること”は前提です
動かせません
王であれ、英雄であれ、偉人であれ、人であればいつか死に
城であれ、寺であれ、墓であれ、モノであればいつか朽ちます
それはとても寂しいことではありますが、日本の土地のほとんどが誰かのものであるように、この世にあるには“場所”が必要で、しかもそれは有限です
師匠が退かねば弟子に席はなく
親が死なねば子に居場所はないのです
だから、社会としてすべてのものは死ぬように作られています
それをすべての人間の総意によってそう望んでいるからです
私たちはその体も社会も、死ぬように進化してきました
個体の寿命を延ばさず、子に受け継ぐことを選んできたのです
ただなくなったのではなく、いつか来る“次”のために場所を譲った
そう考えて生きていきましょう
そうすれば、おのずと生きる理由は見つかるはずです
コットン 様
沢山の偉業を成し遂げたあなただからこそ、七転八倒するからこそ、生きている実感を感じていらっしゃるように思います。七転八倒に価値があり、そこに喜びも含まれていると私は思います。
参考にしてください。
合掌礼
質問者からのお礼
けいじょうさま。
ありがとうございました。
釋 孝修さま
七転八倒に価値があり、喜びも含まれている。確かにその通りかもしれません。そのお言葉、大事に噛み締めて生きていきます。ありがとうございました。
井上大道さま
私のような何もかもが浅い愚かな若輩者に、優しいお言葉をおかけ頂き、ありがとうございます。
40を過ぎ、随分老いた気になっていました。しかし人生の先輩さまから見れば、まだまだこれからなのかもしれません。
確かに過去にしがみついて生きていました。しかしそれもあとになって思い返せば、まだまだそんな老け込む年ではなかったと思うのでしょうね。
人生の先から見た視点を教えて頂き、ありがとうございました。いまこの瞬間から、精進します。