生き直したい
小学中学時代不登校、高校は受験せず、それから精神を病み5年間ニート、20歳過ぎて高校入学卒業、清掃のバイト、車の免許を取りましたが、去年の9月退職してしまい、以来4ヶ月無職です。
今までて適当に生きてきた報いだとは思うものの自分の市場価値のなさ、無能さ、年齢が近い人や国家資格を取るために正社員で働いている妹を見ていると、今更ながら過去や時間は取り戻せないと、毎日自殺方法を検索しています。
なりたい職種もなく、ただ人材不足で将来正社員になれるかもと思い、介護の職業訓練に通おうか悩んでいますが、甘いと自負しており覚悟がつかず、自分でもどうしたらいいか分かりません。もう27才なのに、母子家庭で今まで育ててくれた親に恩返ししたいのに、毎日情けなくて絶望しかなく生きる意味が見いだせません。
ここまでお読み頂きありがとうございます。厳しいお言葉でも構いませんので、何かお言葉を頂けませんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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存在価値
ゆうさんこんにちは。大乗と申します。
ご質問拝見致しました。
生きましょう。世間を相手にする必要はありません。世間は有用価値の世界です。世間に役に立つものだけが価値あるもの。というものさしをベースに形作られています。
それに対し仏教は存在価値を説きます。存在価値とは、存在していることそのものに、存在丸ごと価値があるということです。なにからなにまで、草木やコップや細胞に至るまで一切のものが存在しているだけで価値があるものです。人間にははかり知ることのできない絶対的な存在価値なのです。
たかだか人間の作り出した世間のいう価値観だけがすべてではありません。
そもそも戦争差別沢山の苦悩や悲劇がここから生まれています
世間というものは生きにくいものです。堅苦しいのです。
仏教は出世間の教えです。人間の作り出した世間の枠組みを飛び出た、人間のものさしを超えた絶対的な真理が説かれています。
存在価値。存在丸ごと価値がある。誰が何と言おうと、どんな生き方をしようと価値があるのです。
市場価値、国家資格、正社員。これらはみな世間の価値観です。
そうではない絶対的な価値がある。
それだけは忘れないでください。
人はそういった安心のもと努力できるのだと思います。
誰が何と言おうとゆうさんは価値あるお方なんです。
お母さまにとってもそうでしょう。
焦らずに、ゆうさんが人生を歩んでいかれますように。
祈念いたします。