どうしても今すぐ解決できない問題
今まで問題があれば、真正面から向き合って解決してきました。
解決法をしっかり調べて、仮説を立てて、成功するまで実験を繰り返せば、大体の事は乗り越えられました。
でも今回、どうしても今すぐ解決できない問題があります。
真正面から解決しないと逃げているようで、諦めるのが嫌なのです。
でも、もう一つ他の優先順位の高い問題を解決しようと思えば、自分の身体の弱さでは、体力的にどちらかの解決にしか取り組めず、片方が先延ばしになってしまいます。
先延ばしにするのはまだしも、先延ばしにしたからといって解決するとは思えず、時間切れになる可能性の方が高いと思います。
自分にとって優先順位の高い方の解決を優先するのは決めていますが、優先順位の低い方の問題が解決できないのも、かなり困る内容です。
でも、例えばお年寄りの方が若さが欲しいと悩んでも解決のしようが無い様に、人間には解決できない問題というのがあってもおかしくないかもしれません。
その場合、悩み苦しみ続けるしかないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたを離しはしないと、力がはたらいていること忘れないで。
そぅ。。。あなたは、その度に、自分と向き合ってきたのね◎
全てのものが、計算式を解くように、答えが出て、誰もが納得して、解決していけたらいいのにね。
この世は、なかなかそうはいかず、
思い通りに、描いたように、簡単には解けない、答えの出ない問題が次から次へと起こってきますね。
一つ一つ、向き合っていくしかないけれど、
順番通りにもいかないし、必ず解けるとも限らない。
それでいいと納得していくことや、
自分では行き詰っても 誰かの助けや協力することで、乗り越えられることもある。
また、その現実を受け入れていくしかないこともある。時間は戻せないし、変化も止められない。失くしたものや、死んだ人を生き返らせることも、不可能ね。
だから、そんな世を共に支え合って生きる人が必要。
苦悩の中を、絶望と空しさでは終わらせないと誓いを立て救おうとはたらいてくださっている仏さまもいらっしゃる。
仏教は、どうにもならん自分を見ることから始まる 気づきです。
あなたが抱えている問題を、時間をかけながら向き合っていけますか。
誰かと一緒に越えていけますか。
受け入れていくことはできますか。
どうにもならなくても、あなたを離しはしないと、見ていてくださる力がはたらいていることも忘れないで。
私もその力に支えられながら、今こうして立てています。
悩みは尽きるものではない
拝読いたしました。
帽子さんのお考えの通り、人間生きている限りは、悩みは尽きません。
あなたは、努力家だと思います。
今まで、様々な問題に行き当たり、それを解決に導いてこられました。
それは、素晴らしいことだと私は思います。
しかし、いかがでしょうか?
壁を乗り越えても、また次の壁が現れますね。
こうして、生きている限り、乗り越えても次の壁が見えてきます。
ですので、人生そんなもんなんだと、むしろそんな自分を楽しめたら、言う事なしなのですが・・・
ところで、あなたにも解決できない問題は、あるのではないでしょうか。
例えば極端ですが・・・
モデルのような容姿になりたい。
仕事しなくてもいいだけのお金が欲しい。
人間関係でこじらせたくない。
などなど、、、
このような解決できない問題に対して、悩んでも馬鹿らしいですよね。
どうにもならないのですから。
お年寄りの方が、若さを手に入れたいと思う事と同じです。
要するに、あなたにも解決できない問題は数多くあり、知らないうちに諦め、そんな自分を受け入れているのです。
でも解決できていないから、その問題に直面し、思い起こした時、悩み苦しむ。
例えば、容姿の事で気にしていたとしましょう。
普段は、生活に追われ忘れています。
しかし、容姿の事で気にしていることを、人に言われたらどうでしょうか?
悲しくなりますし、悔しくもなります。
人として生きる以上、解決できない問題は、尽きません。
ならば、それに悩む自分を客観的に見つめてみる。
そして、解決できない時は、自然に諦める力があると知る。
悩みは尽きません。
でも、悲しいことではありません。
だって、それが”生きている”ということなのですから。
質問者からのお礼
海老原さん
壁を乗り越えてもまた次の壁が現れるのは、今とても実感しているところです。
生きている限り悩みが続く中で、人生はそんなものだと、そんな自分を楽しむというのは、私なりに考えると、諦めて選んだルートで最善を尽くして、多少の後悔は残っても、この道はこの道で楽しいと感じられるまで、最善を尽くすことではないかと思いました。
よく考えてみれば、今までも解決できず自然と諦めた道も多々あった事を思い出しました。
知らないうちに諦めるのは、ただ逃げるだけの悪い事ではない、そういう諦める力も生きる上では役に立つ場面があるのかもしれないと少し思えるようになりました。
悩みが尽きないのは悲しいことではなく、それが生きるという事だと言われて、今までの人生を振り返って、この悩みさえ解決すればすべて良くなると考えていた10代の頃の悩みが良くなってきても、まだ次の悩みが出てくる自分を見て、人間の本質の事を、またひとつ理解できたような気がします。
悩みがあってはならないとか、問題はすべて解決しなければならないとか、それは幼い考えで、世界はもっと複雑に進んでいくのかもしれません。
次々と悩みが出てきてもそんな自分を楽しめる事を目指して頑張ります。
ありがとうごさいました。
中田さん
すべての問題が、計算式を解くように解決策があると信じて生きてきた所があると思います。
単純で幼い考えだったかもしれません。
そういえば数学の世界でも、学者さんですら答えられない答えの出ない問題がいくつかあると聞いたことがあります。
世界はもっと複雑なんだと、今回相談して、アドバイスを読んで思いました。
すべての問題が必ず解けるとも限らない、それでもいいと納得することで乗り越えられることかある、そう考えるのが、ある意味、それこそ解決策なのかもしれません。
現実を受け入れるという事について私が思うのは、具体的な解決策のある問題は具体的に解決するまで努力し、具体的な解決策が無いなら悩んでも時間がもったいないから、悩まず受け入れる方がいいという、よくいろいろな所で聞くアドバイスです。
よく聞くのに悩みすぎて忘れていました。
でもそんな風な形で現実を受け入れるのは、やはり時間をかけて向き合わないといけないのかもしれない。
確かに今までの人生で、諦めなければならないことができるたび、すぐには受け入れられませんでした。
一緒に乗り越えられる誰かは、今のところ、この人と!というより、ゆるく励ましあえる友達や親戚や地域の知り合いや、守ってくれる両親がいます。
永遠に側にいてくれる人ではないかもしれませんが、周りの人との絆だけは、恵まれています。
多分、100%の理解をしてくれる人はいないけど、腹を割って話をするだけで私は楽になります。
将来のことが怖いけれど、皆で励ましあって生きていけるように心掛けたいです。
それと、仏様が私のことを思って下さると確信するだけの信心は無いですが、どこかで少しそう感じているのかもしれません。
今まで大変だった間、神仏やご先祖様に祈り、そしてなんとかやってきた。
それをまったくの気休めとは思えず、どこかで守ってくださっている様な気分は否定できません。
離しはしないと見ていて下さる力が働いていると確信できたらいいのにと思います。
でも今日はそう考えてみる事にします。
中田さんがその力に支えられて今ここに立てているという言葉にも良い重みを感じます。
とにかく少しずつ受け入れていきたいです。
相談して良かったです。
ありがとうごさいました。