叔母が亡くなり気持ちの整理ができません
1週間前に母方の叔母が亡くなり毎日のように叔母のことを思い出し涙が溢れてきます。
叔母は生涯独身だったため、家族がおらず私の家から1時間ほどの離れた土地で1人暮らしをしていました。
小さい頃は叔母と一緒に旅行に行ったり叔母が私の実家に来て泊まっていくということもありましたが、9年前に私が結婚してからは海外に住んだり出産育児で忙しく疎遠になっていました。しかし、1人で暮らている叔母のことはいつも心のどこかで気になっていました。
昨年の夏に叔母は骨折し入院していましたが、リハビリの甲斐あって4ヶ月ほどで自宅に戻れるようになりました。
その後、ヘルパーさんにご支援を頂きながら暮らしていましたが、母と父も高齢で頻繁に遠方の叔母の家に通うことは困難になってきたため私の実家の近くの老人ホームに呼び寄せようと思案していた矢先の突然の訃報でした。
退院の時に着る洋服を姉と一緒にプレゼントしたことが叔母にしてあげられた最後のことになりました。なぜ叔母に会いに行かなかったんだろう、会いに行けば良かった、元気なうちに会いたかった、ご飯でも一緒に食べに行けば良かった、美味しいもの食べられてたかな、何もしてあげられなかったな、などなど後悔の念が絶えません。
もうどんなに後悔しても叔母は戻ってこないし会えないことも分かっていますが、まだ気持ちの整理ができません。どのようにこの気持ちを整理したら良いでしょうか?ご教示願います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は、亡き人を偲び、また遇おうと、仏法を聞いて念仏していく
そうですか。。。お寂しくなりますね。
あなたにとって、素敵な叔母さまだったのね。
こんなに、別れがすぐにやってくるなんて。もっと、してあげれることはなかったのか、あの時 こう言えば、、、いろんな記憶や後悔も出てきますね。それだけ、関わり深く 大切な存在の人だったからこそですね。
関係性の中で生きていると、別れも必ずやってきます。なぜ、どうして、もっと、その想いは尽きませんが、同時に 出遇えてよかった、あなたのおかげで 私の今があると、感謝も乗せて、亡き人へ届けませんか。
仏教では、死は終わりではありません。
浄土へ生まれ往くこと、これが仏様の救いなのですから。
そして、人は、亡き人を偲び、また遇おうと、仏法を聞いて お念仏していくのです。
あなたも、涙だけでない、これからもおそばに、そしていつの日が遇える日を想い、一緒に手を合わせていきましょう。
私も、あなたの大切な叔母さまに出遇えたことに、感謝の手を合わせますね。 合掌
質問者からのお礼
中田様
ご回答ありがとうございました。
賢くて芯の強い叔母だったのでいつまでも悲しんでいたらあの世から笑われてしまいますね。僧侶様のおっしゃる通り、感謝の気持ちといつか会える日を想い生きていきたいと思います。
気持ちが和らぎました。本当にありがとうございました。