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私の母は4年前に亡くなりました。
最近ふと思い出すのですが、母に何もしてあげられなかった。
母のお金ばかり使って母にプレゼントもろくにあげず、母に何をしてあげれたんだろうと。
ある日、母と出掛けて、どうでもいいことでカッとなって母を置き去りに帰ったことがありました。
今だに思い出しては後悔してます。
母が亡くなる前に謝りましたが、母は悲しかったと。
母ともっと出掛けたかったし、好きなものを一緒に食べたかった。
母の声を聞きたい、会いたいと思ってしまいます。
記憶が曖昧で母との記憶があまり思い出せません。
現在、子供が2人いて子育てをしていますが、よく怒鳴ってしまったり優しくできません。
子供との関わりは自分の子供の頃の母との関わりが原因でうまくいかないとことがあると聞いた事があります。
その後悔がなくなったらうまく行くのでしょうか?
母はどんな母だったのか
母がいたらなんて子供たちに声をかけるんだろうと思います。
母がいたらと
私の中で母はとても大切な存在だったと、4年経った今も思ってしまいます。
どう母との死を向き合い、子供と向き合っていけばいいのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
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もう、向き合っています。
母がいたら、どうするだろうか…。それはまさに、お母さんに、そして子育てする自分に向き合っている人の言葉です。
私もしばらく前に父を送りましたが、やっぱり私にも「今思い返しても、あれは悪かったなあ」という思い出があります。
私なりの向き合い方は、「父が大切にしていたことは何だったのだろう」を考えることで、「今の私を見たらどうするかな…」というキーワードが、今でもときどき浮かびます。
「自分の親にされた扱いを、我が子にもする」というのはよく言われる話ですが、それは「母親の標準形」を自身のお母さんに見ているからです。だから後悔がなくなったら自分の子育てが上手くいく、というのは少し違うと思います。後悔は残っているから自分を律することができるのですよ。
「よく怒鳴る」というのは、「私の思い通りに行かない」ことへのもどかしさの表現でしょう?それは、伝え方を変えることで改善する可能性があります。
まずは、相手をよく見る。何をしているのか、聞く耳を持っているのか。自分の都合と子供の都合を、両方見ているか。怒鳴ると、「あ、取り敢えずお母さんを落ち着かせなきゃ」という別の問題が生まれます。お母さんが願っていることと、別の問題に向き合わせちゃう。それは子どもの問題解決に寄り道させることになります。
そして、相手が聞く耳を持っていないと気づいたら、まずはあなたが聞く耳を持つことです。あなたの行動が、お子さんにとっての標準形になるのですからね。
最後に。
「何もしてあげられなかった」とのことですが、あなたはある意味お母さんの後を継いで、母親になっている。苦労しながらも、日々精一杯やっておられるのでしょう。そのことが何より嬉しいだろうと思いますよ。「私の姿を見て、この子は母になることを選んでくれた。親になるという道を選んでくれた」というのは、お母さんを全肯定している姿だと、思いますよ。


