仏像は一つ一つ性格が違いますか?
夜分遅くに失礼致します。
私は去年、仕事で沢山の失敗があり、
心の支えとして、2ヶ月ほど前に、
7cmほどの小さな聖観音菩薩様の仏像を
我が家にお迎えしました。
そして、寝る前や朝に、すがるような思いで、
(当時は依存していたかもしれません)
ほぼ毎日、観音様に手を合わせ、真言を唱え続けた所、
今まで失敗していたのが嘘のように、
一気に仕事が順調になりました。
売れずに困っていた不良在庫がかなり売れたり、
他のジャンルの失敗続きだったプロジェクトが
いきなり上手くいき始めたりと、とにかく驚いております。
そこで、質問なのですが、この感謝の気持ちを
聖観音菩薩さまに、お伝えしたいと思っているのですが、
どのように観音様にお礼をしたらよろしいでしょうか?
観音様の祀られているお寺さんに
お礼の気持ちを込めて、参拝を考えたのですが、
毎日手を合わせている、我が家の観音様以外の、
観音様に手を合わせるよりも、
我が家にいらっしゃる観音様の仏像に、
いつもよりも真言を多く唱えたりした方がよろしいのでしょうか?
同じ観音様でも、仏像によって人格?や性格が
違ったりとかあるのでしょうか?
我が家に、この聖観音様がいらっしゃってからというもの、
とにかく、失敗続きだったことが嘘のように成功続きで、
この感謝の気持ちをどう表したら良いのか、わからない状態です。
いつも通り、感謝の気持ちを込めて
しっかりと真言を唱えるだけでも、よろしいのでしょうか?
夜分遅くに、このような質問で申し訳ございませんが、
ご教授頂けましたら幸いです。
お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏の願いとは?
ご相談拝読しました。
仏像にお参りするようになってから物事が順調に進むようになられたのですね。
それは一面では偶然であり、一面では必然と言えるでしょう。じっくり読んで、しっかり考えてみましょうね。
仏像による性格の違いがあるか?ということですが、この仏像はこういう供養は好むけどああいう供養は嫌うとか、この仏像はこういうご利益(実体的に願いを叶えてくれるという意味)があり、あの仏像にはこういうご利益がある、ということはありません。
仏像は仏像です。あくまでもモノです。では模された仏様の違いは何かと言うと、仏のさとりの何を表しているのか?どういう願いをあらわしているのか?という違いです。
例えばザックリ言うと観音様なら慈悲、勢至菩薩様なら智慧、不動明王なら力ずくでも救おうとする姿とかそういう違いですね。
でもその違いが共通して願いとするのは私たちを真理・法則に目覚めさせようとするということです。けして病気を治すとかお金を儲けさせるとか、そういうことではありません。
そもそも仏様とは何かというと人間です。ゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)という一人の悩める人間が悩んで深く深く自己を見つめた末に真理・法則に目覚めた姿を仏様と呼ぶのです。人間ですから当然病気を治すとかお金を儲けさせるという超能力があるわけではありません。
しかしながら後世になってそうした俗説や、むしろお寺側もそうした現世利益をうたったりしますが、本来はお釈迦様の目覚めた理・法則の偉大さを比喩的に表現したところから始まったものではないでしょうか。
ですから、仏像にお参りしてものごとが上手く行くようになったというのは偶然です。同時に、上手く行くようになったということは上手く行くような原因がととのったからであり必然でもあるのです。
その原因は「仏像にお参りしたこと」ではなく「仏像にお参りしたことで力をもらい、努力を継続してきた」そして「その努力が社会のニーズに適うものだった」ということでしょう。
仏像は仏像というモノですが、その仏像を通して仏の願い・さとり(真理・法則)に触れさせていただくところに仏像がご本尊として見出されていきます。
ご本尊は生活の拠り所です。そういう意味ではあらゆるものごとに感謝するという信仰の形はとても素敵だと思います。
観音様とのご縁を大事になさってください。
質問者からのお礼
ご丁寧に教えて下さり、誠にありがとうございます。
確かに仏教の教えそのものが、
真理・法則に目覚めさせようという教えでしたね。
吉武様が仰るように、仏像を拝んだから成功したのではなく、
仏像を拝むことにより、自分自身、色々と気が付かされたおかげかもしれません。
今回、吉武様に言われて気が付いたのですが、
拝んでいる最中に、色々と考えさせて頂き、 そこでの気付きや、自分の気持ちのあり方を考えることにより、 進むべき道が開けたようにも思えます。 現に、その時に気付かされたことで、 自分の考えを変えた所、上手くいき始めました。 去年の失敗続きの時は、 かなり苦労して沢山の作業をしていましたが、 それが拝んでいる時や、真言を唱えている時に、 ふと、去年は、間違った方向で努力をしていたのでは? っと思うきっかけもありました。 観音様の仏像が自宅に来るまでは、普段、 気持ちを落ち着かせることをする習慣がなかったので、 仏像を拝むことによって、その機会を頂いたのかもしれません。 確かに、吉武様が仰るように仏像は「物」かもしれませんが、 色々な気付きを観音様の仏像によって、 気が付かされたのも事実ですので、 観音様への感謝の気持ちだけは、絶対に忘れないように致します。 今回、吉武様にご教授頂いたおかげで、より一層、 視野が広がり、観音様以外にも、色々と細かい所まで、感謝できそうです。 ご回答頂きまして、誠にありがとうございます。 これからもお世話になるかもしれませんが、 その時は、またよろしくお願い致します。 とてもためになりました。
お礼のコメントをしっかりと改行をしたつもりでしたが、
ちゃんと改行されていませんでした。
読みにくく、大変申し訳ございません。
この度は、回答を頂きまして、誠にありがとうございました。
また、お世話になるかもしれませんが、
その時は、どうぞよろしくお願い致します。