「何もしない」がやりたいこと。
タイトルの通りやっと自分がやりたいことがわかった気がします。
私はこれまで「少しでもいいから何か自分がやりたいことで稼ぎたいな」と思って生きてきました。
しかし、現実は仕事はやりたくないこと。
お金のために我慢の連続。
仕事だけでなく趣味も夢中になれるものは皆無。
「私は何がしたいのだろう。望みは何?」
長いこと自問自答してきましたが、最近ボーッと何もしないことに幸せを感じることに気づきました。
何もしないとは「考えない、動かない」いわば石のようになった状態です。
そこで私は考えました。
不安(くだらない自尊心を守るため)にならないようにするにはお金が必要だ。
しかし「何もしない」ではお金は稼げない。
でも「何もしない」時間を人生の中に増やしたい。
そのためには「お金に執着しないことだ」と考えました。
この「お金に執着しない」という意志を定着させて穏やかにボーっと生きるにはどうすれば良いでしょうか?
何卒お助けください。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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確固たる信念はありますか?
質問読ませていただきました。
世間という忙しい中にありながら、色々ご自分のことを見つめ、人生をどのように生きていこうかを考えることはとても素晴らしい事でしょう。
さて、「お金に執着しないこと」という結論にたどり着かれたとのことですが、仏教的には「何事にも執着しない」ことをとても大切にします。その意味において、ユウゾウさんのたどり着いた結論は素晴らしいモノだと思います。
しかし、そこに至るまでのユウゾウさんの論理でいくならば、「如何にして自尊心を捨てることが出来るか?」ということが、お金に執着しないために一番大切であるように思います。
それができれば、自尊心を捨てる→必要以上のお金はいらない→お金に執着しない→必要以上に稼がなくてよい→何もしない時間が増える という流れになってくるでしょう。
ただし、それは自分1人の場合はそれでいいでしょう。
ユウゾウさんに家族がいるなら、その生き方を認めてもらうか理解してもらう必要があります。自分1人の人生ではないのですから。もしくは、ユウゾウさんの理想よりは、少し妥協したモノに考えを変えていかなければならないかもしれません。
その努力は怠ってはなりません。
そして、もう1つ大切な事があります。
それは「必要以上に何もしない」という確固たる人生の目標を立てて、前向きにそれに向かうのならいいのです。
しかし、仕事がイヤだ・・・人と関わるのがイヤだ・・・といった「イヤだ」の逃げ道としてその生き方を選択するのであれば、それは考えものです。
なぜなら、「イヤだから」といって安易に逃げを選択したのであれば、「必要以上に何もしない」という人生を歩む上で何か困難が降りかかってきたときに、その生き方からもまた逃げてしまい、「結局自分は何がしたいのか?」という悩みに迷い込んでしまうからです。
また、「何もしない」人生というのは楽に見えるかもしれませんが、これはとても厳しい生き方です。
周りのプレッシャーが襲います。
時間があれば、それに慣れて飽きてしまいます。
時間があればあるほど、色んな事を考えてしまいます。
そういったものに自分は打ち勝てるという確固たる信念がなければ、きっと挫折するでしょう。
逆に確固たる信念があれば、それが生き方に顕れて、自然と自分に定着してきますよ!
何か少しでも参考にしてみて下さいね!