友達の不幸話
こんにちは。
私には大学にとても仲の良い友達がいます。今まで学校を転々としてきて、親友と呼べる人がいない私に、唯一親友と呼べるかなと思えるような、そんな大切な友達です。
しかし、最近悩んでることがあります。
私は去年の12月に父を亡くしました。まだ40代でした。仲が良い父だったのでかなりショックは大きく、突然涙がこぼれることもあります。
毎日つらくてつらくてたまらないです。しかし、そんな状況でも私は大学に行かなくてはなりません。
だからどうもならない時に、その友達に、助けを求めるように話を聞いてもらいました。するとその子は「うんうん。すごいわかるよ、私もね…」と言った調子で、同調して自分の不幸話をしてきます。
何度助けを求めてもその調子です。
正直、私は今、他人の不幸話はどうでも良いと思ってしまいます。それに、同調されると「あなたには分からないでしょ?!」とイラ立ちます。
こんな風に考えてしまう私は性格が悪いのでしょうか…。
その子も去年、祖父を亡くしているので、正直に「今の私は余裕が無いから、あなたの不幸話はどうでもいい」と言いたくても、その子にはその子のつらさがあると思うので、正直には言えません。
最近はその子では無い人に話を聞いてもらうようにしているので対処できています。
しかし、今度2人で飲みに行くことになっています。久しぶりに遊ぶのでもちろん楽しみなのですが、私はお酒が入ると口が軽くなります。このままだと抑えられず、正直な気持ちを本人に言ってしまいそうです。
下手な文章ですみません。こんな私にアドバイスをいただけると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もっと深い友達になれる機会かもしれません
自分のことを聞いてもらいたいのに聞かされる側に立つので辛いということでしょうか。お友達流の共感の示し方なのかもしれないし、そうでなかもしれません。しかし、なんとなくもっと深い友情を築く機会であるようにも思います。決して攻撃的にならず、しかし、率直に話してみては如何でしょう。
また、相手が辛いことを話してくれるのは、あなたを信頼しているからだ、という考えもできます。だったら素晴らしいじゃないですか。そうした事は誰にでも話せることではないはずです。聞いてあげるのも大切だと思います。本当は自分が聞いてほしくても、です。
私は坊さんですから、「仏さまはどんな方ですか」と尋ねられることがあります。そんなとき、「ぞうきん」のような方だと申すことがあります。すると、相手は驚きます。しかし、雑巾は自分が汚れて擦り切れてボロボロになる。雑巾がそうしてくれるので周りはキレイになる。自分を犠牲にして他者の辛さや悩みを自分のものにしてくれるから仏さまを雑巾にたとえます。
あなたが雑巾になったら、そのお友達の辛さは少なくなるかもしれないし、そのことでもっと深い友情が築けるかもしれません。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
確かに、言われてみればこれがもっと仲良くなるチャンスなのかもしれません。逆に今、率直に言えなかったら、そのまま一生自分が根に持ってしまうような気がします。
すごくすっきりしました。ありがとうございました。