他人の評価が自分の存在を決めてしまう
私は他人の評価が自分の存在を決めてしまうものだと思って(感じて)しまいます。
たった1人に嫌われただけでも、自分の場合それだけで嫌われる存在、いらない
存在だと思ってしまいます。
少しでも悪い評価を受ければ、それだけで自分の存在が脅かされるような感覚になってしまいます。
極端に受け取っているだけかもしれませんが、他人の評価の中で
生きている感じがとても辛いです。
他人の評価=自分の存在そのものという感覚を変えるには、どうすれば
良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分で思っているほど
おもちさんはじめまして
人は、自分が何者かを計る際には、どうしても他人の評価を参考にします。
他に適当な方法が無いからね。
でも学力テストのようにきっちり数字ではじき出される物ならともかく、人の評価というものには「主観」が入ります。
要するにその人の趣味嗜好や価値観、あるいはその日の気分によっても変わってくるものです。
「主観」ほどいいかげんなものはありません。
そして、あなたが自分で思っているほど、他人はあなたを気にしていません。
そんなものを気にして、振り回されている時間がもったいないと私は思います。
だから、他人があなたをどう評価しようが「参考までに」とどめさせていただけばいいんです。
心の中でふるいにかけて、よい意見だけを残すようにしましょうよ。
仏教には「一水四見(いっすいしけん)」という言葉があります。「同じ水でも、4つの立場によってそれぞれ捉え方が異なる」という意味です。
水は・・・
人間にとって→無くてはならない飲み物
魚にとって →自らの住みか
天人にとって→歩くことができる水晶の床
餓鬼にとって→飲もうとした瞬間火に変わる、苦しみの源
このように、同じ水でも命の源になったり、苦しみの原因になったりするのです。この「一水四見」の意味をもう少し広げれば、「同じ物事でも、立場や見方が変われば違った景色が見えてくる」と解釈できます。
あなたに対する評価も人によって違います、あなたを気に入る人もいれば、嫌う人もいるでしょう、でもそんなのお互い様、100%誰からも好かれる人なんていやしないよ。
自分の存在を確かめたければ、鏡を見ればよいw
あなた自身が誠実に生きていれば、それでよし。
質問者からのお礼
「「主観」ほどいいかげんなものはありません。 」
確かにそうですよね。
それに自分は悪い評価ばかりを気にしていたのかもしれせん…。
一水四見のように、自分自身に対しての見方も変えていきたいと思います。
少しだけ勇気みたいなものが湧いてきました。
誠実に生きれるように頑張って生きます。
ありがとうございました!