人間は醜い
人間は醜い存在だなって思います。
心優しい人が居るのは重々承知しているのですが、大多数が当てはまると思います。
例として、いじめは、いじめている人もそうですし、それを見ている人もそうですし、先生に言えばいいなんて言葉を言って、実際に言えばどうなるかを理解してない先生もそうです、いじめられている人は、只愚痴を聞いてくれるだけでも救われるのに、自分の持論はこうなんですが、他がどう思うのか気になりました
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「私」もその「人間」
ご相談拝読しました。
人間が醜い存在だというのは悲しいけれどおっしゃる通りだと思います。
そこからもう一歩深く仏教的な視点みるならば、その「人間」に「私」が入っているのかどうかが大きな問題です。
「醜い」ということが他人事であって自分には関係のないこととするのか、自分もまたその一人として痛みを抱え、危うさを自覚していけるのかの分かれ目がそこにあります。
心優しい人もいれば、怒りっぽい人もいるでしょう。でもそのどちらの人もやはり縁さえ調えばどんな醜いことをもしてしまう、私たちはそんな存在です。
だからといって自分で自分の評価として「私は醜い」「私は危うい」とするならば暗いです。暗いですけれど最後の最後で「でもとこ私はこんなところもあるから捨てたものじゃない」とか「今回のことはしょうがない」とかする甘さが残ります。
自分中心の執著を人は捨てられないからです。
だから人間、つまりはこの「私」が「醜い」とか「危うい」というのは自己判断でなく、「教え」から知らされることが大切です。教えから徹底的に私は救いようのない存在だと知らされるところに実は救いがあるのです。
あなたは大切な事に気づいたのですから、どうかその気づきや価値観を他者を裁く刃とするのでなく、自己を見つめる「教え」を求める縁としてください。
これからの人生で多くのことを学んだり経験したりすると思いますが、行き詰ったら「仏教に尋ねてみようかな?」と思ってもらえたらありがたいです。