二種のろくでなし
「善悪関係なく自分より力のある人間や数や目先の何かに依存して、俗なき人間を便乗して蔑む人間」
又は
「不満や醜い劣等感といった精神的苦痛を晴らす為に有望で優秀な俗なき人間を虐げて自分を大きく見せようとする人間」
はろくでなしです。
どうして、そんなろくでもない人が生まれるんですか?
どうか教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ろくでもない人生こそが修行
こんにちは。ふるたにこうだいと申します。
ご質問拝読させていただきました。
私も日々ニュース番組なんかを観て、身勝手な理由で人を殺めたり、人に迷惑をかける人の話を見聞き致しますと、とてつもない感情に襲われることがあるんですよね。
世の中ろくでもない人間は山ほどいます。
そういう人を見て腹が立ったり、許せないと思うのは、正しい倫理観を持った人間であれば当たり前のことなのです。
だけど、ただ憤ってそこで歩みを止めてしまっては勿体無い。
ろくでもない人間にとっては、人生というものは大層な修行になってゆくと感じます。
いつか人生を閉じる時、後悔しないように生きていくために
自分の持つ課題と正面から向き合い、思考し続けることが大切なんですね。
そして、そのろくでもない人間を目の当たりにした時
私たちにも同時に、自身のあり方が問われています。
憤って見放すのか。それとも別の方面から、その人の人生に思いを馳せ、理解に努めてみるのか。
大変に難しいことだとは思いますが、人生で与えられた貴重な修行の機会の一つになると私は思います。
世の中の人間は多種多様。
全ての人間が同じ方向を向いていないからこそ
その中で自分がどうあるべきかを自己に問い続ける。
死ぬまで続く、価値のある修行だと捉えてみませんか。
質問者からのお礼
ありがたき言葉、ありがとうございました。