hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

運勢は何かで決まっているものなのですか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 21

はじめまして、つちのこと申します。
私は普段、あまり運がいい方ではないです。
けれど本当に人生で重要な局面や一歩間違えれば命に関わるような事故にあった時などは、結果的に良い方へ転がったり幸運にも無傷で済んだりします。
この運の良さや悪さは何かで決まっているものなのですか?
運のいい人や悪い人の違いとは一体何なのでしょうか?

あまり要領を得ない質問ですが、お答えやご意見をお聞かせ願えればと思います。
宜しくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

善因善果、悪因悪果

つちのこ様、はじめまして。
人生は運で左右されるか、ということですが、仏教的にはNOといわざるを得ないのかなと思います。
あらゆる結果は原因があり、その結果には縁がある。
原因がわからないことを人は簡単に運と言ってしまうのです。
タイトルには善因善果、悪因悪果と書きましたが、他にも因果応報、自業自得という言葉で表現することができます。
例えば、人は必ず命終えるときをむかえます。(結果)
その原因は何かというと生まれてきたからなのです。
命終える縁は何かというと病であったり事故であったりするのです。
人が死ぬのは運が悪いからではありません。
つちのこ様が仰る運のいい人悪い人は、善因善果、悪因悪果ということでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

違いは、“自分の捉え方”。

hasunohaにご投稿、本当に有難うございます。

違いは、
自分のことを運が良い人間と思っているか、運が悪い人間と思っているか、だと思います。

幸せになれるかなれないかは物事に対する意味の付け方次第だと思いますので、
“運が良い方ではない”という認識が、悪い出来事を重ねる原因だと思います。

例えば、【朝の正座占い】

自分の正座が1位だと、
その日空が快晴だったり、何かふと嬉しい出来事があったり、
普段では感じないようなことでも一日に起こる出来事一つ一つ、
占い1位に結びつけて、“良い出来事”と認識し、重ねます。

逆に占いが最下位だと、
転んだり、何か嫌な思いをしたり
普段なら特に占いに結びつけたりしない出来事一つ一つ、
「今日最下位だったから」となり、その日を“悪運な日”と認識してしまいます。。

このように、物事の見方次第、結びつけ方次第で
良いことが重なったり悪いことが重なったりします。
この場合つちのこ様が占いを信じる御方かどうかは特に関連ないのですが、
物事の結びつけ方としては似ていると思います。

「自分は運が悪い人間だ」とばかり考えていると
幸運には少しばかり無頓着、不運には敏感になり
10の幸運より1の不運で
「ほらやっぱり私は運が悪い...」と捉えがちになってしまいます。

(勿論つちのこ様が幸せを感じない方と言っているわけではございませんので悪しからず...!!> <)

物事を見る、視点が視点なら今の世の中、自分の人生、悪いことばかりしか起きません。
ですがその逆もまた然りです。
つちのこ様も“結果的に良い方へ転がっている”ではないですか。

運勢なんて決まってないです。
大事なのはソレを幸運と捉えるか不運と捉えるか。

とりあえずは、どんなことでも、何かある度、
自分は運が良かったー!と過大に評価してあげてましょう♪笑

有難うございました。

{{count}}
有り難し
おきもち

人の欲、悩みというものは生きている限り絶えることがないですが、そのもやっと...
このお坊さんを応援する

運命論・宿命論・決定論は「中道」に反する考え方

つちのこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では、運命論・宿命論・決定論は「中道」に反する考え方として退けることになります。

何事においても、運命・宿命・決定付けられていることだとしてしまうのであれば、これから、何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。

運命論・宿命論・決定論は、極端な楽天主義か、あるいは極端な虚無・悲観主義に陥ることになってしまいかねず、仏教においては退けるべき偏見、断見となります。

藤範雅史様も既におっしゃられるように、仏教で因縁果の理を重視するのも、善き結果のためには、善き原因・条件が必要であり、その善き原因・条件を然るべくに調えていくためでございます。

誠に難しいことですが、死して、この肉体が滅んだ後にも続くことになる微細なる意識、心の連続体(心相続)が、どこへと向かうのかも、他の誰でもない、己における業の因縁次第となります。

そのため、できる限り、色々なご縁によって何とか生かされている今、この時を大切に、そして、善き行いにしっかりと努め励んでおきたいものでございます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

 色々なお話、有難うございました!
 運やそういった類のものは、目に見えない何かで決められているのかなと漠然と考えていましたが、そうではなくて全て自分の行いに伴う結果だったのですね。
 そう考えると、日々の自分の行動の重みが少しわかってきたような気がします。
 不安な事を気に病み続けるよりも、なるべく前向きにポジティブに物事を捉えて、良い行いを心がけていきたいと思います!

 今の時期、色々と不安事も多くて少しだけ気が滅入っていましたが、皆様のお話を伺って心が軽くなりました!
 本当に有難う御座いました!

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ