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仏様自身のお願いの叶え方

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有り難し有り難し 15

初めて投稿いたします。

仏様は人々のお願いを叶え見守ってくださる存在かと思うのですが、仏様自身のお願いはどうしているのでしょうか?
どんどん幸せになっていく周りといつまでも変わらない自分を比べて悲しくならないのでしょうか?

ここ数年私は「周囲の人(家族や友達)を幸せにする」をモットーに生きてきました。
その結果かどうかはわかりませんが、最近私の周囲では恋人が出来たり結婚したり子供が生まれたりといい知らせが続いております。
また、良い友達にも恵まれ満足のいく日々を過ごしているのですが、一つだけ満足のいかない点があります。

それは恋人が出来ないことです。
周りがどんどん幸せになっていくのを見ると幸せな気持ちになる一方で、いつまでも恋愛面で変化のない自分に悲しくもなります。

そのような自分の立場をふと仏様に当てはめてみたところ、上記のような疑問が生まれました次第です。

ご回答のほどよろしくお願いいたします。

2019年11月10日 22:42

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【仏仏相念】お互いに念じ合う

そもそも、互いが互いを思いやる世界にいて、願いが叶って喜んでいる相手の姿を見て惨めさを感じているようでは、おおよそ仏とは呼べないよね。

2019年11月11日 9:49
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有り難し
おきもち

となりのトトロの世界のような山奥の田舎の小さな小さなお寺の住職をしています...

仏様の願い

だいすけさま

仏様は、菩薩の修行時代に持たれておられた誓願を成就なさられて悟りを開かれて、仏陀・如来となられました。

ですので、菩薩時代における誓願が、まさに仏様の願いそのものであると言えます。

阿弥陀如来様であれば、法蔵菩薩様の時代における48の誓願となります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%A1%98

また、仏様の願いは、一切衆生(皆)を救うところであるのは、どの仏様であろうが変わりません。

一切衆生(皆)が救われるまで、そのお悟りにて得られたお力にて、救いのはたらきをなさられるのであります。

当然に、一人でも幸せになる者があれば、その分、お喜びになられて、悲しまれることはないでしょう。

しかし、世俗における幸せと仏教の勝義的な幸せ(つまり悟り)を同等に議論することはできません。

真にお喜びになられるのは、勝義的な悟りを得られた者があれば(輪廻から解脱する者があれば)、というところとなります。

また、悲しまれる(憐れみをもたれる)のは、いつまでも迷い苦しみの輪廻にある全ての衆生へ向けて、となります。

とにかく、誰かの苦しみや悲しみを癒されて安心を与えてあげることは、誠に善い行いとしての功徳となります。

その功徳は、きっと善き結果へと向けた因縁になることでしょう。宜しければこれからも努めて頂けましたら有り難いことでございます。

川口英俊 合掌

2019年11月11日 10:40
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「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

小屋から出てきた仏像について

先日、祖父の家の物置小屋を探検していました。私が知っているのは、祖父の家は江戸時代から13代続く家です。 そのため、小屋にはなんか凄いの入ってそうだな、という木箱や竹籠が沢山あります。 色々見ていたところ、主に朱塗りのお膳セットや陶器でした。 しかし、父がふと この木の棒なんだ? と、足元の樽の上にあったものを手に取ると。 仏像でした。私は仏教は好きでお釈迦様の教えなどは好んで知ろうとするのですが、仏像に関しては分かりません。 その仏像は30センチくらいの立像で観音様でしょうか。 スラッとしていて右手は人差し指と親指をくっつけて上を向き、左手は下を向いている美しい仏像でした。 仏像の乗っている台の下には 先祖代々永享元年 と書かれており、調べてみると室町時代だとか。 もうひとつも立像で、胸の下あたりに法界定印(調べました)を組んだ お地蔵さま?お釈迦様?です。 これは、年代は不明です。10センチから15センチくらいです もうひとつは、20センチくらいの扉のついた彫り物です。3センチ程の人物が3人いて、御一方は不動明王様でした。 長くなりましたが、無造作に埃まみれの小屋において置くのも嫌だなと、見つけたのも何かのご縁かと思い、汚れを拭き取り綺麗にしました。 これらは、仏壇で一緒に手を合わせていいものでしょうか。 良ければ教えてください。曹洞宗です。

有り難し有り難し 14
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本尊とお唱えの対応関係

 こんにちは。当家の菩提寺は曹洞宗なのですが、「うちのお寺のご本尊は歴史的な経緯から阿弥陀如来なんですよ」と住職に聞きました(あまり大きくもないこともあり、それまで遠目にはわからなかったんです)。宗派の本尊と各寺院の本尊が一致してないことはよくあることですので、それ自体はへえそうなんだ。ぐらいの感想でしたが、ちょっと後で考えてしまいまして。というのも、その阿弥陀如来様の前に「南無釈迦牟尼仏とお唱えしましょう」という掲示があり、ずっとそうしてたんですけど、目の前におられるのは釈迦如来じゃありませんよね・・・?「南無阿弥陀仏」じゃないんでしょうか??みんなに目の前で「南無釈迦牟尼仏」と言われて阿弥陀如来様はどう思われることなんでしょう?両方唱えてみるべき?  実は、法要の際に住職が「南無釈迦牟尼佛・南無高祖承陽大師・南無太祖常済大師」と列挙している部分に一言「南無阿弥陀仏」と挿入していたことがあり、おお!ここで配慮してたのかと得心したんですが、逆に言えば阿弥陀如来関係はここだけです。そもそも、曹洞宗のお経は釈迦如来や観世音菩薩関係のものばかりですよね。  寺の本尊もしくは各家庭の仏壇の本尊と、お唱えやお経って、必ずしも対応してなくてもいいものなんでしょうか?多分いいんだろうけど、なんでなんでしょう?(だって、そうじゃないと薬師如来や地蔵菩薩や不動明王のお経なんか唱えたくてもまず唱えられませんよね。)如来や菩薩は相互に「私の前で誰それからこんな読経があったよ」と報告してくださってるのか、それとも上司不在時の代理決裁のように宛先が別の如来でも処理してくださるのでしょうか?このあたり、どう理解したらいいものなんでしょうか、よろしければ回答お待ちしております。

有り難し有り難し 11
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