仏様自身のお願いの叶え方
初めて投稿いたします。
仏様は人々のお願いを叶え見守ってくださる存在かと思うのですが、仏様自身のお願いはどうしているのでしょうか?
どんどん幸せになっていく周りといつまでも変わらない自分を比べて悲しくならないのでしょうか?
ここ数年私は「周囲の人(家族や友達)を幸せにする」をモットーに生きてきました。
その結果かどうかはわかりませんが、最近私の周囲では恋人が出来たり結婚したり子供が生まれたりといい知らせが続いております。
また、良い友達にも恵まれ満足のいく日々を過ごしているのですが、一つだけ満足のいかない点があります。
それは恋人が出来ないことです。
周りがどんどん幸せになっていくのを見ると幸せな気持ちになる一方で、いつまでも恋愛面で変化のない自分に悲しくもなります。
そのような自分の立場をふと仏様に当てはめてみたところ、上記のような疑問が生まれました次第です。
ご回答のほどよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【仏仏相念】お互いに念じ合う
仏様の願い
だいすけさま
仏様は、菩薩の修行時代に持たれておられた誓願を成就なさられて悟りを開かれて、仏陀・如来となられました。
ですので、菩薩時代における誓願が、まさに仏様の願いそのものであると言えます。
阿弥陀如来様であれば、法蔵菩薩様の時代における48の誓願となります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%A1%98
また、仏様の願いは、一切衆生(皆)を救うところであるのは、どの仏様であろうが変わりません。
一切衆生(皆)が救われるまで、そのお悟りにて得られたお力にて、救いのはたらきをなさられるのであります。
当然に、一人でも幸せになる者があれば、その分、お喜びになられて、悲しまれることはないでしょう。
しかし、世俗における幸せと仏教の勝義的な幸せ(つまり悟り)を同等に議論することはできません。
真にお喜びになられるのは、勝義的な悟りを得られた者があれば(輪廻から解脱する者があれば)、というところとなります。
また、悲しまれる(憐れみをもたれる)のは、いつまでも迷い苦しみの輪廻にある全ての衆生へ向けて、となります。
とにかく、誰かの苦しみや悲しみを癒されて安心を与えてあげることは、誠に善い行いとしての功徳となります。
その功徳は、きっと善き結果へと向けた因縁になることでしょう。宜しければこれからも努めて頂けましたら有り難いことでございます。
川口英俊 合掌