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運命だったのか

回答数回答 1
有り難し有り難し 14

こんにちは。
いつもお坊さんからの素敵な助言や、
考えを拝見させていただいております。

一つ質問させていただきたいのですが、
お坊さんは、避けられない運命というものは存在すると思いますか?

私の体験なのですか、ちょうど一年前
何をやっても上手くいかず前に進めないということがありました。(仕事に関してのことです。)
最悪の事態を避けようと様々な手を打ったもののすべて裏目に出てしまい職を失いました。

私が苦しんでいるのを見て面白く思っている同僚や、先輩も多くいると知り、夜眠れなくなり、何故自分だけという思いから前向きな考えや、未来に期待することにも疲れていました。

このような出来事は起こるべくして起こっているのですか?
それともたまたま、私であったのですか?

神様は超えられる試練しか与えないと聞きますが、あまりにも辛く私は諦めて逃げ出してしまいました。(逃げたてしまったことは、とても後悔しています。)
また、そこから何か新しいことに挑戦することも怖くなりました。

あの経験は必然であったのか、それとも
偶然であったのか、今でも毎朝考えてしまいます。

私がなぜ、自分だけと考えてしまうのが
間違っているのですか?
しかし、私は自分なりに全力を
尽くしていたと自負しております、、、

もし、お返事頂けたらありがたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思い通りにしようとすればするほど…

拝読させていただきました。慈陽院の平本と申します。

単刀直入に言ってしまいますと
「思い通りにしようとすればするほど、試練が大きくなります」

仏教では、思い通りにしたいという気持ちが苦しみを生み出す原因だと説いています。

また私達は、自然世界の中で生きています。いつ何時何が起こるか分からない世界です。
そして私達人間は、不完全な人間です。

そんな環境の中では、思い通りにならないことが圧倒的に多くなってくると思います。

では、思い通りにならずに失敗したときには、その失敗をどう活かすかだと思います。

またお釈迦様の教えの中でこういうのがあります。
お釈迦様には、とても手の焼いた弟子がいました。
その弟子は、ついにはお釈迦様の命を狙うほどの凶悪な人になってしまいました。
そんな弟子に対してお釈迦様は「その弟子がいたからこそ見えてきたものがある。私が悟りを得て、人々を救うことができたのもその弟子のおかげである」と説いています。

私達がそこまで達観することは、難しいですが自分の中で腑に落として、踏み台にして次元の違う人間になってしまえば、嫌な出来事も必然と思える日がくると思います。

運命があるのか、ないのか私には分かりませんが、時間をかけて嫌なことを糧にできれば報われると思います。

あくまでもこれは一つの意見ですので、こういう考えもあるのかと思っていただければ幸いです。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

素敵なお返事ありがとうございます。

私が何もかも思い通りにしたいという考えが間違っていたのですね。
少しずつ時間をかけて気持ちを整理して行くことができればと思います。

本当にお返事いただきありがとうございます。
感謝してます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ