他の方はどう考えて生活しているでしょうか
こんにちは。はじめまして。
大学を卒業し、スポーツショップに就職しました。
彼女より仕事を取った形で振られ、仕事もうまくいきませんでした。
そこで自分の不甲斐なさで仕事を干され、
精神的にも厳しかったので、逃げるようにやめて地元に帰りました。
(辞め方も良くないです。)
今の仕事をしているのも、そこでの経験があってこそなので恨みなどはありません。その起業も元店長だった方の助けもありすることができています。
現状は、お金をためる為に親の仕事の手伝いをしながら、
空いた時間で自分で起業し、ラケットスポーツ関係の実店舗を
しております(今年の5月から)。
起業の理由は、自分がしたい仕事がなければ自分でしたらいいということ
地元にそのスポーツが広まればいいということ
地元の若い子たちに、こんな仕事もあるということをしって欲しい
ラケットスポーツで地元を盛り上げていきたい
などいう理由です。
田舎の方で、お客様も少ないです。来ない日もあります。
1年目はこんな感じなのでしょうが。いろいろ試していきます。
お金をためる2年間(今もですが)毎日、そのスポーツで貢献するために
まずショップをするんだと毎日思い生活しました。
やはり、前の会社にいるときから精神的にしんどかったので、やめた後から体のだるさや体調も優れない日がつづいています。(起業してからもまた別のストレスで体調がすぐれません。)
と同時にこの2年間でいろいろ考え生活していました、
会社を辞めるまで、その仕事に一生懸命でしたが今は
「なんで周りの人は普通に生活するだけなんあだろう?」
「旅行とかいって、みんな楽しむ必要はあるのか」
「みんなが、地元のためにおもって行動したらかわるのにな」
「競技人口もすくないし、何自分はしているんだろうとか」
「周りは、仕事してボーナスももらっているのに、自分は親の手伝いしながら起業してるのか」
「いい歳なのに、売り上げがすくない起業したら、彼女もできないなど」
「みんなが彼女や家族のためにがんばっているのに、自分がしていることはいみあるのか」
あまり前向きになれなかったりと、当時を思い出し涙が止まらなくなるときもありました。(涙がでるのは今はあまりないですが)
自分や社会に対しての怒りや悲しみなど、いろんな気持ちになります
上記のような感情は、おかしいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
夢をもっていることは
もももー!さんは ももも!さんの人生であり、ももも!さんが人生の主役です。
十人十色である人々の生活には目では見えないプライベートがあり、旅行や映画など外出したりすることで各々のストレス発散方法や、家族や人間同士の絆や、価値観の再確認や、趣味を模索されている方や、余命を告げられ最後にしたかったことに向けて行動を起こしている人など様々であります。
夢をもつことはとても素晴らしいことであり、夢をもてる人は少ないのも現実であります。また若いときに夢をもっていたが、仕事に追われ、家庭を築き、子が生まれ、家族のために夢を旦那し、家族を幸せにするための夢に変化を遂げた方々も多いものでもあります。
現在、地元に戻られ競技人口も少ない環境の中で、再活性化を狙いスポーツの楽しさを広げる活動を夢とし、仕事とされていることはとても素敵なことです。夢とは叶うものであり、人は普通に過ごすことで基本精一杯の生き物です。夢に向かっているときは普通以上の馬力が伴います。他人に夢を追いかけることに疲れないと思われようが、ももも!さんがしたいと思うことに向かって他人の目を気にすることなく邁進する気持ちがあれば、それは夢です。
他人の評価を意識しながら、頑張っているときは、他人より少し秀でた生き方をしたい価値観を高めるための要素のみになります。
私の寺院の玄関にはお地蔵さんがいます。しかし、原価償却で考え参拝者のお賽銭を考えると、とてつもない時間が要します。私たちは僧侶ですので、利益というものを念頭に置きませんので、思考にあわよくばなどという思いは元々ないのです。私の使命は現代・末法の世といわれる仏教が衰退している時代ですから、人々に仏の教えを広めることを布教するのが、夢になります。私の寺院のお地蔵さんには小学生の子がお賽銭は入れずに手紙や塗り絵を置いていきます。その無垢清浄の祈る気持ちに感動を覚えます。
お大師さん(弘法大師 空海)の数あるお言葉の一つにこのような言葉がございます。
「虚空尽き、涅槃尽き、衆生尽きなば我が願いも尽きなん」
このお言葉は、たとえ一人でも仏の救いを願う人があれば、諦めず救いにかかるといった(簡略)お言葉です。
このように ももも!さんが成し遂げるためには時間と馬力が必要ですが、邪心を持たず、夢に純真な気持ちで向かうことで、必ず扉が開くように世の中はできています。
質問者からのお礼
ご返信ありがとうございます。
長文で分かりにくい文章だったと思います。すみませんでした。
「自分が人生の主役」もやもやがすこし軽くなりました。そう感じることで他人とは別なのだと思える気がします。
間違いなくここ数年の出来事は、良くも悪くも自分の考えを変えたと思います。
邪心といえばそうなのかもですね。自分の自信のなさや迷いから来ているのかもしれません。
また、ここまでくるのも一人の力では不可能だったと思えます。
今後やろうとしていることも一人の力では無理で、協力しないと達成できないことだなとも思います。もちろん自分のいろいろな部分を高めて協力したなと思わせるくらいにもならないと、とも思います。
と同時に我ながら、すごい険しい道に進んでるなとも思います。
達成してもいろいろな悩みがでてくるのかもしれませんが、、、、