幸せって思わなきゃいけないのに
幸せって思わなきゃいけないのに思えません。毎日寂しく悲しく自分と他人と比べてしまいつらいです。私はそこそこ裕福な家庭に育ちました。中学校から大学まで私立で欲しいものも割と買ってもらいました。そこそこの大学にも入れたし、友達もいます。一般的に見たら幸せって思わなきゃいけない境遇だと思います。我慢できず「つらい」と母に言うと「学校も私立で欲しいものも買ってあげてるのにどこが辛いのよ!」と怒鳴られました。確かにそうですよね。なのに毎日しんどいです。幸せって思わなきゃいけないのにそう思えない自分がわがままで身勝手だと自覚してます。毎日悲しく泣いてしまいます。死にたいと考えることも毎日です。幸せってなんでしょうか?どうすれば幸せを感じますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【慈悲喜捨】
"私はそこそこ裕福な家庭に育ちました"
"中学校から大学まで私立で欲しいものも割と買ってもらいました"
"そこそこの大学にも入れたし、友達もいます"
まぁーなんとも羨ましい話だ。
"なのに毎日しんどいです"
まぁ…そうだろうな。
"幸せって思わなきゃいけないのにそう思えない自分がわがままで身勝手だと"
これはどうかなー。
あなたはまだ幸せを掴んでいないよ?これ以上、欲しい物をいくら手に入れたってダメだろうな。
"どうすれば幸せを感じますか?"
あなたは今まで十分に与えられてきた。今度は、あなたが誰かに与える側にまわってみてはいかがかな?他人様の喜んでくださる姿ほど、幸せなものはない。他人様が喜ぶ姿を見て、自分が浄化されていく感覚ほど生きててよかったと思えることはない。
『六道輪廻』
『六道輪廻』という思想があります。
『六道』とは、「天上」「人間」「修羅」「餓鬼」「畜生」「地獄」の6つ。
『輪廻』とは、転々として定まらないさま。
「悪いことをすると、地獄に行く」などと言いますので、『生まれ変わり・死に変わりとのこと』と考える方もいると思いますが…
「天上」…思い通りで有頂天であるが、回りが見えていない時
「人間」…落ち着いて他人を思いやることができる時(一時的なもの)
「修羅」…他に負けまいと、争う時
「餓鬼」…何を手に入れても満足できず、満たされない時
「畜生」…自分さえよければ良いという時
「地獄」…いつ終わるとも分からない苦しみの中にある時
…と、考えると『いま生きている私たちの迷いの心そのものである』とも解釈できます。
(コロコロと移り変わり定まらないから『心』という説もあります)
「天上」や「人間」の状態は悪いことではないようにも見えますが、結局は一時的なものでしかないので、後に苦しみの元となります。
仏様の教えは、この迷いの世界(六道)を離れて、悟りの世界(迷いを解決し、心安らけき状態)を究めようとするものです。
あなたの今の不満・不安が解決しても、また新たな不満・不安が生じます。
仏様の教えを学んで、ご自分で解決できる力を育ててみませんか?
その際、もし解らないことが生じた場合は、いつでもハスノハにご相談下さい。