盗撮動画を見ていた過去に罪悪感があります
違法な盗撮動画を見ていた過去に罪悪感があります。
昔からアダルトサイトにアップされている違法な盗撮や痴漢の動画をよく見ていました。
昔は「動画をアップしている人、そこで盗撮犯や痴漢犯は犯罪行為をしているけどこっちは見ているだけ。動画内でやってるのは悪い行為だとは思うけど見るだけならいいだろう」と思って見ていました。
でも最近では「そもそも見るのはよくない。弱い立場の未成年や成人女性が被害にあってる事を考えずに欲望だけで直接犯罪はしてないものの見るだけでもよくないのではないか」と考えるにいたり、最近では9割型見なくなりました。
自制しているのです。
9割ということなので100%見るのはやめられていません。
さらに女性の人権を踏みにじる行為をしてしまった自分にも卑劣な動画をみたことへの罪悪感です。
でも後悔と罪悪感だけでは未来に進めない事も現在35歳ですが、最近になってわかってきました。
さらに性犯罪のニュースを見ると「悪い事してるな、バカなことやってるな」とも思う心はあります。
だからこの世から盗撮動画が一掃されても合法なアダルト動画を見ればいいという考えも持っています。
それでも見てしまいたくなる心は消えません。
前よりはだいぶ減ったとはいえ動画を見ているのに性犯罪のニュースや識者の記事を見ると「そうだよな。性犯罪は減らすべき」と思っているのでこのダブルスタンダードにも苦しんでいます。
また、考えすぎて、不安になりすぎて「自分もいつか犯罪に手を染めてしまうのでは…」と不安にも駆られます。
人に言えない性癖は誰しもありますが、こんな違法は性癖を持ってる自分にも恥じていますし、ダブルスタンダードのまま、人に隠していくのもつらいですが、公にするわけにもいきません。
このことから私はどうやって過去と現在に折り合いをつけて将来を考え、
未成年や女性の人権のために考えていけばいいのでしょうか。
母親には相談していますが、お坊様方のご意見も頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
母親に相談できる勇気があるなら大丈夫
私はさらっと母親に相談していると書いていることに衝撃を受けました。自分の性癖は親になんか絶対に言いたくありません。その勇気があるなら、私は犯罪に走ることはまずありません、と思います。悩みは独りで抱え込まないのが一番です。人に相談できるのは自分の行動に善悪をつける第一歩です。大いに悩んで下さい。修行僧は満月の日に布薩(ふさつ)と言いまして、戒律を見直し自分の行いを見直す法要があります。正座で長い戒律を読み上げるのを聞いてますが、取り敢えず長い。足が痺れる痛い。この足の痛みは己の煩悩の痛みと言われました。痛い分だけ煩悩が多く反省も多いのです。あなたの場合は六法を正座して聞く感じですかね。
あなたにできることは定期的に自分の反省会をすることです。自分の行いを見直すことです。出来ればメモに残しましょう。過ちは次回にしないことでしょう。
別にあなたは僧侶ではないので、もう少し人間臭くてもいいのではないでしょうか?許される範囲内でいわゆるAV は見てもいいと思います。無理せず生きましょう。
世の盗撮・痴漢動画はやらせです。
あなたはアダルトサイトの盗撮・痴漢動画を違法と言いますが、それはやらせです。そもそも最近のAV自体ドキュメンタリータッチのやらせが多いですね。それに一喜一憂するほうがばからしいのでは?
質問者からのお礼
ありがとうございます。人間臭くそして許される範囲のものを楽しみたいと思いますし、違法なものはなくてやらせが多いこともわかったのであまり気にしないで、楽しみたいと思います、