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無に行ったかもしれない話

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有り難し有り難し 14

私はよくボーッとしています。小さい頃からです。
たまにボーッとしていると、自分は宇宙の中の何で何をするためにここにいて、他の人たちは何で、なにをするためにここにいるのか?という感覚になります。ここにいる自分を不思議がらない自分をしきりに不思議がっている、そんな感覚です。次第に手のひらが上を向いているか下を向いているかわからなくなり、体がなみなみしていきます。波に揺られる感覚というかんじです。小刻みに。
この感覚はわりと心地よくてたまにやるのですが、人生で一度だけ、ボーッとしていて真っ白な空間に行ったことがあります。
小学生の頃で、習い事の最中でした。今でも鮮明に覚えています。その時はその習い事に対して興味が持てず、ボーッとしてやり過ごすことが多かったと思います。そして気がついたら私は真っ白な何も無い空間にいました。そこはたぶん無なので、「何もない」という概念すらありませんでした。しばらくして扉が見えました。そこで私は「扉だ。え?扉?扉ってなんだっけ?」と思い、「扉を知っている自分」を自覚してこちらに帰ってきました。
あの時私には何が起こっていたのでしょうか。そして、ボーッとしているときに起こるあの感覚に名前はあるのでしょうか。
とても難しい質問かもしれませんが、私にとって意味があることに思えて仕方ないので、こちらで質問してみることにしました。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

想像力が豊か?

 私も子どもの頃、ボーとしてこのようなことになりました。今思うと現実逃避の一つかもしれません。あまりその様なことが続くなら、止めましょう。
 坐禅会に行き、時間の範囲内で行いましょう。誰かに止めて貰わないと自身の生活が危なくなりますよ。

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脚下照顧です

拝読させて頂きました。
私も若いころよくありましたね。白昼夢を見て気がついたら医務室に運ばれていたこともありましたし、幽体離脱もしましたね。なんだか自分が自分でないような感覚におちいることもありものです。
そのようなときはあるものです。

とはいえ私たちは今地に足つけて立っています、座っています。或いは大地に体を広げて寝ています。私たちの周りにはしっかりと地面があるのですし、沢山の方々やものごとに囲まれています。
「脚下照顧」ですね。どうか自分自身の足元を見つめなおしてみてください。己の周りのものごとを見つめなおしてみてください。

あなたには存在する場所もあり行く道もあり、支えて下さる方々もいるのです。

あなたがこれからの未来に皆さんと分かち合い、助け合いながら認め合い、そして健やかに成長なさっていかれます様切に祈っています。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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