生きている限りずっと苦しいのでしょうか
初めまして。実家を出ているのに、長く無職をしている20代の女です。
私の悩みは、身の程を弁える覚悟がなく、人に嫉妬して苦しんでいることです。
多額の奨学金を借りて希望する大学に入学し、なんとか4年で卒業したものの、それ以降の生き方が未だに掴めず、仕事に就いては辞めるのを繰り返しており、ずっと不安を感じています。
昨年は大黒柱だった父も亡くなり、いよいよ誰にも頼らず自立するしかなくなりましたが、いまだに働いていた頃の貯金を食い潰して生きています。
私自身、働いてる間は真面目と評価していただくこともありましたが、「この仕事は何のためになるのか」と考え始めると途端にネガティブになり、退職に至ってしまいます。
年齢が20代のため、就職活動をしたら小規模な事業所からは内定をいただくこともありますが、他の優秀な友人達の立派な職場や待遇と、自分に提示される条件を比較して二の足を踏んでしまいます。
身の程を弁えて生きていく覚悟ができない。
努力の仕方がわからない。
いまこうしてぐずぐずしているツケは、将来必ず自分に降りかかってくると思うと、本当に不安でしょうがないです。
私はこうして、ずっと「あの人は恵まれていていいな」と思いながら、人を妬んで生きていくのでしょうか。
できれば、良さも悪さも含めた自分を認めて、前向きに努力して、何か楽しみを感じながら生きたいです。
そういった心のつくり方は、仏教の教えのなかにありますか?あれば是非、私にヒントを教えていただけないでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。
他人と自分を比べて、自分にないものを持っている人を妬んでしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いのちに目覚める
他人と自分を比べる生き方はつらいですね。
比較して批評して裁かれる事は、競争社会を生きる私たちにとって避けられない問題であるように感じます。
そして傷ついてうずくまって落ちこぼれてしまう。では傷ついて歩みが止まることはダメなのかというとそんなことはないのです。
リルケがひとつの詩を残しています。
人は皆 牢獄を逃れるがごとく自己の前を逃れんとすれども 世にひとつの大いなる奇蹟あり いのちみな生きらるべし
この詩は、人生に悪戦苦闘する身に道が開かれていることを表しているのではないでしょうか。
私が生きるこの身は苦悩する身ですが、苦悩する身に暖かい いのち(願い)が呼びかけている。わたしは人生の使命をこのように頂いています。
「良さも悪さも含めた自分を認めて、前向きに努力して、何か楽しみを感じながら生きたいです」
麻婆さんもこのように人生の使命を感じておられる。仏教の教えに学ぶことはあると思います。
あせらず・くらべす・出来ることから始めてください。
不安や妬み失敗を沢山抱えて悪戦苦闘している者より。
質問者からのお礼
心救われる教えをありがとうございました。誰かの役に立ったり、大きなプロジェクトを動かしたりすることが社会人としてのミッションであり、それができなければ価値のない人間だと思い落ち込んでいました。
しかし、教えていただいたリルケの詩を見て、1つの生命としての使命を疎かにしていたと気付かせていただきました。
ありがとうございます。張り切り過ぎず、求められる場所で、できることからはじめようと思います。