一切皆苦。何もかも無駄?
いつもお世話なっております。
最近は休養を余儀なくされている
ので、退屈な時間、時々仏様の教え
をよくよく考えます。
「一切皆苦」という概念について
気になったのでお尋ね致します。
その四苦八苦などの「苦しみ」は
生まれた以上仕方ない物、と心得た、
つまり諦めたのちはどう行動すれば
いいのでしょうか?
一切皆苦、と聞くと全て無駄に
思えて仕方ありません。
いっそ、早くお迎えが来ないだ
ろうかとも思ってしまいます。
いえ、そう思う日が増えました。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
執着しない
一切皆苦だとわかったら、全ては苦しみだから、執着に値しない、必死で欲しがる必要はないと考えてください。
全ての選択肢で、どっちを選んでもメリットとデメリットがあると思ってください。
甘いカフェオレを飲めば美味しいし栄養豊富けどカロリーが高い。
ブラックコーヒーを飲めばカロリーは低いけど苦いし栄養は少ない。
どっちを選んでもデメリットがある、完璧ではない。
だから、まぁどっちでも良い。
カフェオレが売り切れだったら、ブラックコーヒーでもべつにかまわないと思ってください。
一切皆苦だから、どっちを選んでも欠陥・短所がある。
必死でカフェオレにこだわる必要はないのです。
でも、カロリー高くても、苦くても、水分補給できるメリットもあるので、全く無駄ではありません。
追記
何をやっても苦しみ・デメリットはありますが、ぜんぶ無駄というほどではないと思います。
仏教徒の本質的な目的は、悩み苦しみを減らすことだと思います。
質問者からのお礼
【願誉浄史 先生】
ご回答ありがとうございます。
とてもわかりやすいお例え、
ありがとうございます。
本質的な目的を見極め、目の前
の事象と折り合っていく、という
理解で間違いないでしょうか。